2015年12月31日木曜日

カウントダウンが始まる前に

あっという間の2015年。昨年末の投稿でも書いたが、1冊に10年分を書き込めるこの「10年日記」、2001年から使い始めて15年、2冊目のちょうど半分が終わった。1ページに1日分の3行の欄が10、つまり全部で30行ある。ある1ページの一番上の欄が2001年3月3日とすると、その下が2002年3月3日、さらに下が2003年3月3日と、10年分の同じ日が並んでいる。だから今日を終えると、この1冊の全てのページの上から5欄、15行目までが全部埋まって、5年分の出来事が書き込まれ、下半分が空欄になっている状態。


昨年、秋にキリンビールを退職することを決め、年末は半年の充電期間のちょうど真ん中だった。東京マラソンを走るためのトレーニング、カメラの学校、ギタースクールなど、仕事をしているとなかなか時間を取れないようなことをやっていた。

3月末で正式にキリンビールを退社、4月から株式会社ビアスタイル21に復帰。

最初の3ヶ月程度は、ただひたすらガージェリーを取り扱っていただいているお店を回った。自分がこの事業から離れていた7年半の空白を埋めるためだ。その中で今のガージェリーに必要なことを感じとり企てをした。夏からそれを実行。ホームページやfacebookページに手を入れた。同時に自分が社会人になった思い出の地である大阪へも足を運び営業をかけ始めた。

4月から9ケ月間、ずいぶん多くの人に会ったが、まだまだこれから。ガージェリーの新しいステップも加速を始めている。やるべきことが既に始まっていて、これからが本番。つまり、この年越しは全くの通過点という感じ強い。特別な思い入れはない。

実は今49歳で、来年春に50歳の誕生日を迎える。そういう意味では40代最後の年末であり、正月なのだけれど。これも特別な感慨はないな。それより、こうやって10年日記の空欄を埋めていっていると、自分の人生の残り時間がどんどんなくなっているという思いが強くなっている。この一冊を書き切ることはできるだろうか。次の一冊あたりで終わってしまうのではないか、とか。

ちゃんと生きなきゃ。

やりたいことをきちんとやる。思い切ってやる。

このブログを読んでいただいている方が、どなたなのかはわかりませんが、今年も一年、ありがとうございました。来年が健やかで充実した年になるよう、心からお祈りいたします。

2015年12月13日日曜日

ブランドをつくること、存在している意味を確認すること

2002年の事業開始以来、ガージェリーが発売したビールは、樽が2種類、瓶は3種類、合計5種類だけ。しかも、飲食店だけにしか販売しない。飲んでもらうには、飲食店へ行っていただくしかない。

樽はガージェリー・スタウトとガージェリー・エステラ。
スタウトは100日以上、エステラは60日以上かけて発酵・熟成させ、飲食店から注文をいただいた分だけ樽に詰め、翌日には冷蔵便でお店に届ける。


瓶はガージェリー23(トゥースリー)BLACK、Xale(エックスエール)、Wheatの3種。
主発酵が終わった段階で瓶詰し、60日以上の冷蔵保管の後に出荷。1ヶ月、2ヶ月、そして1年、2年と時を重ねるにつれ刻々と変化する香味を楽しめる瓶内熟成ビール。


「味の評判もいいし、デザインもカッコ良い、せっかくのクラフトビールブームなんだし、問屋さんや酒屋さんに卸したり、ネット通販なんかで販路を広げれば一気に倍々で売れるんじゃないの?」「スタウトとエステラ以外の限定樽詰ビールとかは出さないの?」

そんなことを聞かれることが多い。

まあ、そもそもそうする余裕もないのだが、やることが得策だとも思っていない。ビジネスとして売上は上げていかなければならない。利益を上げれなければ成り立たない。それが前提だけれども、短期的に大きな売上や利益を上げることよりも大事なのは「続けられること」と「存在価値を高めること」。言い換えれば「ブランドをつくること」だ。

金儲けのためだけに仕事をしているわけではない。誰かに何かを貢献したい。自分が生きている意味を見出したい。そういうことだってあるはず。自分なりの物語があるのか、それが大切。

大手ビール会社から中規模・小規模の地ビール・クラフトビール会社まで、同じライン上で売上を競っているわけではない。大手はシェア争いに意味をもたせざるを得ない面もあるだろうが、それでもそれぞれの存在する意味は、それぞれ胸の中で独自のものを持っているはず。持っていなければならない。

ガージェリーは、人々が生活の中で外飲みをする時間の価値、物性的には醸造所を出てから飲む瞬間までのコンディションということに軸足を置き、飲食店で働く人たちと手を携えて生きていきたい、そういう自分たちのストーリーをつくっていきたいということに意味を見出している。そういうブランドなのだ。だから、やることの優先順位ははっきりしている。


ただ、やるべきことをやっていたとしても、ブランドをつくるには時間がかかる。お客様やパートナーとの信頼関係が必要だから。腰をかがめて我慢する時間が必要だ。いたずらに量を求めてあれこれ背伸びをすると、ブランドではなく単なる"商品群"ができる。あとは前年比とのいたちごっこ。そうしてダメになった商品を数知れず見てきた。

ガージェリーが生まれて13年。まだ13年と言った方がいいだろう。

幸い、今のところガージェリーの状況は悪くない。しかし悪循環にはまる罠は知らない間に足元に忍び寄る。そういうことにならないように腰をしっかり落としておきたい。人類の長い歴史の中で、たまたま同じ時代、同じ時間を生きている愛すべき人たちと、ストーリーを共有しながら育てたい。そして、次の世代にがっちり手渡したい。

ガージェリーを。

2015年11月25日水曜日

つながりに出逢うために歩いている。

鋭意営業を続けている。

最近は飲食店からの問い合わせが増えてきたとは言え、まだまだ知名度は無いに等しい。何しろ飲食店でしか飲めないビールで、しかもそれなりに敷居の高いお店が多い。ここ数年、雑誌などでクラフトビールの特集が組まれることが多くなったけれど、その手の記事にはほとんど取り上げれられることはない。なぜなら多くのクラフトビールが売られている場所にガージェリーは無いから、取材の網に引っかからない。

ビジネスとしてはまだまだヨチヨチなので、売り上げはもっと伸ばしていかねばならない。だから鋭意営業を続けている。

3人の会社で365日営業を謳っているので、誰かが必ず事務所で受注業務をしなければならないが、それ以外の業務はなるべく外に向けるようにしている。つまり自分たちの足で得意先を開拓していかなければならない。

クラフトビールの認知が上がってきているおかげで数年前に比べると興味を持ってくれる人が増えてきたとはいえ、大手のブランドが当たり前の中、飲食店を訪ねると、この知名度の無い商品に、過半の人は興味なく「うちはビールは決まっているから」とか「これ以上ビールはいらないので」というのが最初の反応。

その最初の壁を越えることが、営業上の一番のポイントだと思っている。興味を持っていただき、前向きに検討してもらえる状況になると、かなり力のある商品だからだ。

だから、人からの紹介というのはとても有り難い。いきなり訪ねてきて商品の案内をされるよりも、自分の知人が「これ面白いよ」と奨めてくれるのでは第一印象が違って、その後の判断に影響するというのは否定できない。実際に自分たちの経験でも取り扱いに至る確率は格段に違っている。

また、13年もやっていると、以前に働いていたお店でガージェリーを扱っていたとか、どこかで飲んだことがあるとか、営業で初訪問した際にそういう話になることも多くなってきた。それもとても心強い状況だ。その人がまた別のお店を紹介してくれたり。

とはいえ、紹介いただいたり、一度縁が切れた方々に再会するためには、やはり自分の足を動かさなければ。それを積み上げてきたから今があるわけで。

毎日毎日よく歩いている。

人とのつながりに出逢うことが目的のような気もする。

それが良い。

それがガージェリーなのだと思う。


この秋、取り扱いを始めていただいた芦屋のバーで、お店を紹介いただいた知人と乾杯。










2015年11月10日火曜日

60年の5分の1

先日、正田商事60周年記念イベントに参加してきた。正田商事と言うより「バーイリエ」と言う方が通りがいい。バーテンダーの間では特に知られていると思う。


60年前に渋谷道玄坂で「バーいりえ」としてスタートし、現在も「BAR IRIE」「Shot Bar Cheers」「LE STEAK」を同じ渋谷道玄坂で展開。1950年代半ばから2015年の今まで、ダイナミックに変貌してきた渋谷の街でずっとずっと酒場を営んできたって、すごいことだ。

自分も実家が渋谷区の酒屋なので、この地で長く商売をやっておられる方には何か通じるものがあるように感じる。



そしてガージェリーとのお付き合いも「Shot Bar Cheers」でスタウトを始めていただいてもうすぐ丸12年。



60年には遠く及ばないけれど、もう干支が一周したんだなと思うと感じるものがある。



パーティ会場には、12年前にボクが営業に来たとき「Cheers」にガージェリーを導入して下さった当時のバーテンダーの顔も。現在は、ご自分のバー、池尻大橋の「Bar VISTA」でもガージェリーをお客様に奨めていただいている。

ありがたいことだ。


ほんと、多くの人に支えられて今がある。

だから、自分もガージェリーも精一杯、愛すべき酒場やレストランの人たちを応援したいと思う。

2015年10月27日火曜日

撮りたいものはビールではない

大手メーカーにいた時、商品の写真を撮るのに相当の労力をかけているのを見てきた。特に、グラスやジョッキに注がれたビールの写真は、いかに泡を綺麗に見せるか、きめ細かい泡になっているか、ビールと泡の割合は適当か、グラスに何かが映り込んでいないか、などについて高度な技を駆使する達人カメラマンが撮影する。最近はデジタルカメラになり、画像の後処理ができるようになったので、ずいぶん楽になったのかもしれないが。

ガージェリーをやっている今、プロのカメラマンにお願いして撮影する予算的余裕はないし、飲食店限定というビールである以上、様々なお店で写真を撮る必要があり、ブログなんかで使う写真は営業で訪問する度に撮りだめていかなければ間に合わないから、自分がカメラマンになるしかない。

お店では、営業中に飲みながら撮らせてもらうことがほとんどなので、様々な制約がある。自分が座る席から店内はどう見えるか、光の状況はどうか、他のお客様がどこに座っているか、ビールの状態はどうかなど、まずパーフェクトな環境は望めない。

だけど、だからこそ、撮れる何かがあると思っている。


お客さんを入れて営業をしているお店のその時間、その空間にしかないものがあるように思う。

また、被写体が綺麗に整ったものでないからこそ、何かが伝わるということもある。

台座に置いたリュトンが真っ直ぐに立たず微妙に傾いていたり、ビールの泡が不均一だったり、泡が消えてきたので、一口ふた口飲んでしまい、飲みかけを敢えて撮ることもよくある。

実は、飲みかけの写真の方が好きだ。



時間を感じ、空間を感じ、ストーリーを感じる。

そんな写真を撮る。撮りたい。撮れれば。


しかし、ガージェリーほどの被写体はなかなか無いね。

2015年10月19日月曜日

ベッショのジレンマ

残暑がないまま音も立てずにすっと夏が終わった。前回の投稿で「秋の夜長」って書いているし、今さら何言ってんのという感じではあるが、ボクの中の一部でまだ夏が終わっていない部分があったのだろう。衣替えをしていなかったとも言えるが。夜は気温が下がっているにも関わらず薄着で過ごしていたら、2週間前の大阪出張の途中から風邪を引いてしまった。

それからしっかり休むことなく、毎日そこそこ仕事をしたり飲んだりしていたものだから、未だに完治しない。なんとなくだるくて咳が残っている。周りには同様に咳をしている人が目立つ。みなさんも気をつけてください。

そんなわけで、話はこの風邪につかまった頃にさかのぼるのだが、出張先の大阪で中学高校時代の友人と久しぶりに会い、飲んだ。高校を卒業して以降、会った覚えがないから実に30年ぶりということだろう。これもfacebookのおかげ。


その友人は最近本を書いた。あの『イノベーションのジレンマ』のクレイトン・クリステンセン氏お墨付き。というのも、そのはず。彼は同書の日本語訳本の監修をしているのだ。クリステンセン氏の理論を起点にして、多くのわかりやすい事例を織り込みながら持論を展開し、日本の企業に指針を示す。

『日本のイノベーションのジレンマ』(玉田俊平太 著/翔泳社)

個人的には彼が30年前に学校であれやこれやとしゃべっていた語り口がそのまま本になったように感じて、読んでいてつい笑みがこぼれたが、彼の持ち味は読み手を楽しく引き込みながら理解させる日本語力だろう。クリステンセン氏の訳本の評判が良いのもうなずける。



お店は大阪は福島の「大阪モノラル」。二人でガージェリー・スタウトをしこたま飲んだ。ハーバード在学中にクラフトビールはずいぶん飲んだようだが、「こりゃ、うまい」とお褒めいただき光栄。自家製の燻製料理とスタウトの相性も抜群。

そして、お店のメニューと一緒に出てきたのがこのイラスト。お店のオーナーの奥様が描いたそうだが、なんとも素敵。(それ以上に奥様ご本人が素敵だが。)ビールへの愛情を感じます。メニューブックの中やお店の中にも彼女の作品がちりばめられているので、是非見逃さないでいただきたい。


いやはや、30年来の友人と、素敵なお店の人に挟まれて、どちらにも気持ちを奪われるような、楽しい晩でした。


↓『日本のイノベーションのジレンマ』(玉田俊平太 著・翔泳社)

2015年9月30日水曜日

秋の夜長にひとり想う


大学を卒業してから26年間勤めたキリンビールを退職して今日でちょうど半年。つまり、ビアスタイル21社に復帰してちょうど半年。この6ヶ月はどうだったろう。正直言うとあっけないほど自然に過ぎた感じがしている。それはそもそも自分が立ち上げに関わった会社だから?この会社を一旦離れた8年前と事務所が全く同じだったから?

とは言っても、8年前のビアスタイル21社はまだキリンの社内ベンチャーから発生した完全子会社だったわけで、当時はまだ大企業に所属していながらの、失敗しても戻る場所はどこかしらあるという、ある意味守られた立場だった。しかし今回は違う。ビアスタイル21社はキリンの資本を離れていて、GARGERYの行方と自分の行方は全くリンクしている。

リスク?そういう言い方もあるかもしれないが、それは全く気にならない。まあ、あの時に比べれば歳をとって、残された時間が減っているという理由だけでも、人生の先行きはある意味見通しやすくなっていると言える。ただそういうことではなく、多分、価値観が変わったんだろうと思う。30代の頃はビジネスマンとしての成功だとか、社内での出世だとか、そういうことが人生の成功なんだという、必ずしもそうではないということはわかっていても、ある程度は囚われていた。

今は確実に違う。この時間に何をするか、好きなことをしているか。誰と一緒にいるか、一緒にいたい人といるのか。自分のいたい場所に、自分の意志でいるのか。自分の手で、足で、言葉で、世界と接しているか。そういうことこそ大事で、喜びを感じているから、リスクを取った、なんていう感覚は全くないわけ。

そんな風に8年前と何か根本的なものが変わった自分がいるわけだけど、全く変わらないものがある。

それは、自分が生みだしたブランド、GARGERYへの愛情。

考えてみれば、8年前にビアスタイル21社を離れ、キリンビールで全然別の仕事をしていた時も、GARGERYがどうなっているか常に気になっていたし、街で見かければ自分の子供のように誇らしく、愛おしく思っていた。

だから、戻ってきて何の違和感もないんだろう。

どっしり、ボクの心の中にGARGERYが座っている。


これは死ぬまで変わらんだろうね。

2015年9月22日火曜日

グラスは覚えている

大阪出張で3泊みっちり働いた(飲んだ)帰り、虎ノ門へ寄った。2軒のお得意先へ行くためだ。

一軒はホテルのバー。
誰もが知るこのホテルのバーで、ガージェリーはもう12年。そう、ボクらがガージェリーを始めてまだ間もない頃、つまりこのビールを知る人がまだ全くいない時期に、この由緒ある場所にリュトンが置かれることとなった。

最近、ホテルの本館が建て替えのために閉館する関係で2ヶ月ほどこのバーもお休みだったが、今月から元気に再開。様子見にうかがったわけ。


ガージェリー・エステラが注がれたリュトンを受け止めているこの台座、ひと目で12年前のものだとわかる。側面に"GARGERY"とプリントされているのは当時のものだけだから。プリントは早々にやめて、台座の底面にブランドマークのゴブヌ神のイラストを刻むことにしたから。

大事に大事にこの場所で扱われてきたということだ。ビールが美味しい。

さて、次に向かったのは、虎ノ門ヒルズのダイニングバー。ここでは今月からガージェリー23の扱いを始めてもらった。

今度は台座ではなくリュトングラスに注目。本来あるはずのグラス側面のルーン文字が無い。これも何年も前にとある事情で作り、六本木の国際的に有名なホテルのバーで使用されていたもの。だけど、ここは虎ノ門ヒルズ。


六本木のホテルのメインバーでガージェリーが飲めたときがあった。だけどそれは極めてビール業界らしい事情で大手のビールに取って替わられ、このグラスは小金井の事務所で眠ることになった。

それから数年経過した今、当時その六本木のホテルで働いていたバーテンダーと虎ノ門で再会。ガージェリーをあらためて案内すると、是非あのグラスを使いたいということで、この場所にこのリュトンを持ち込むことになった。あの頃、「飲食店でしか飲めないプレミアムビールをオリジナルグラスで」と誇らしくお客さんにお奨めしていただいていた気持ちが蘇る。

グラスに注がれていたのは、きっとビールだけではなかった。

2015年9月1日火曜日

表参道ヒルズができる頃、飛び込まれる側のことを考えた

さて、久々にアップすると思ったら急に文字多め。しかも10年近く前の投稿のほぼペースト。というのも、ガージェリーに復帰してバリバリ営業もやっている。そんな中で感じることはやはり一緒。文章は少し稚拙だけど、再掲したい。(一部◼︎で伏字にしてあるのは、現在はガージェリーの取扱いがなくなったお店)

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20060125
暗渠を踏みしめ考えた

昨日の夕方、恵比寿のカフェレストランでお茶をしてお店の人に本部の担当者の連絡先を聞いた。というのも恵比寿、青山近辺で気になるお店を何店か経営しているところだから。
こういう風にお客さんとして来ていると追い返すわけにはいかないので、大抵は何らか教えてくれる。まあ、これも稚拙ではあるが営業手法のひとつと言えるだろう。

今朝、その本部に電話してドリンク担当の方にアポイントを取った。応対の感じはなかなか良い。明日プレゼンさせていただくことになった。

午後、その会社の経営するお店の中で、まだ見ていないところを見ておこうと、渋谷「◼︎◼︎◼︎」にPOPを届けた後、原宿、青山に足を運んだ。途中、それとは関係なく目に止まったイタリアン。このお店、かなり前からやってる。学生時代に誰かとランチを食べに来たような気もする。長く続いているだけに、ちょっと興味あり。飛び込んでみた。

休憩中の男性スタッフの一人が気だるそうに出てきて、一応こちらの話を聞いてくれたが、ビールということがわかると「ビール?ビールはダメですね。決まってますから。」と、もうほとんど聞く耳無しという感じ。とりあえず渡した資料もボクが出て行くときに投げ捨てるようにレジカウンターの上に置いていた。

ところで、渋谷川の暗渠の上を歩きながらボクはちょっと考えた。エスキス表参道とキディランドの間から渋谷方面に伸びている、ちょっと低くなった遊歩道だ。表参道を渡ると反対側には交番があって、その横から出てる、いわゆる裏原エリアの遊歩道も同じ渋谷川の暗渠。この入口、つまり交番の後ろにラルフローレンのでかい建物ができている。211日オープンの表参道ヒルズと一緒に開店するつもりだろうか?表参道は世界のブランド通りになっちゃったなぁ。



話がそれた。その暗渠を歩きながら考えたのさ。飛び込み営業に対するお店の姿勢について。

外回りの営業をしているといろいろな人に会う。その“いろいろ”を分類しようとすると切り口はいろいろあるけど、初対面の相手に営業する場合、重要なポイントとして相手に好奇心があるかないかがある。もちろん営業する側の、初対面のシチュエーションづくり、印象作りといった営業技術に左右される要素があることは間違いないが、飛び込みをすると反応は2つに分かれる。

1つは「断るのが面倒。時間の無駄。関わりあいたくない。」
もうひとつは「なになに?なんか面白いものなの?」

たいていは前者だ。ただしボクの仕事の場合は前者であっても、もともとビールという安心感のある商品である上に、ビールとしてはインパクトがある商品なので興味を持っていただける可能性が結構高い。これが金融商品とか、エステとか、価格が高く、内容が難しいものだと抵抗が大きい。しかしそれでも、今回のようにほぼ追い返されるようなことは日常茶飯事。

飛び込んだタイミングの問題はとりあえず別にして、思い切って単純化して言うと、とにかく「セールスお断り。」ということ。誰にでもそれはある。怪しい金融商品の勧誘電話。強引な訪問営業員・・・・迷惑だ。会社の事務所で忙しいときに、カード会社から保険の勧誘の電話。もうそのカードを解約してやろうかとも思ったりする。これはセールスを受ける側のニーズとセールスする側の商品のギャップが大きいからだ。

しかし、自動車メーカーにタイヤや精密部品、パン屋に小麦粉、本屋に本棚、ライブハウスに音響設備、飲食店にアルコール飲料・・・。これは、ちょっと違う。ギャップは無い。ギャップがあるとしたら商談が具体的になってからの話。自分の会社やお店を少しでも良くしようという気持ちがあれば、とりあえず話を聞かない理由は無いはず。あるとすれば「忙しい。」ってこと。たいていは定常業務に追われているということ。

そこで、後者の話になる。
今までに印象に残ったセリフが2つ。

一つめは先日の記事に書いた。代々木の有名フレンチ「レストランキノシタ」。グルメに興味のある人で知らない人はいないのではないかというシェフのお店だ。見た目は丸坊主でちょっと怖そう。
あらかじめ“G”資料を送っておいて電話をしてみた。(これは営業技術かな。)
すると・・・

「美味しいものなら飲んでみたいです。」

うーん、これが基本だよな。と唸りたくなるセリフ。フレンチだけに「ビールは興味ありません。」という答えも覚悟していたが「美味しいものなら・・・」って、すごく力強い響き。今ではGエステラをハウスビールとして取り扱っていただいている。

二つ目は、青山学院横のイタリアン「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎」。
こちらはアポイント無しでお店に入って行った。お店の入り口が狭く、地下への階段を下りていかないといけないので、入るのに勇気が必要。階段を下りると、運良くドリンクの担当の方が応対してくれた。「まあ、座ってください。」とフレンドリーで、こちらの話をゆっくり聞いていただいた。で、今はお取扱いいただいているのだが、この時の先方のセリフが面白かった。

「うちは飛び込みの営業しか受けないんですよ。入りにくいでしょ。それでも入ってきてくれる熱意のある営業さんでないと。」

電話で売り込みをしてくる営業には「とにかくお店へ来てくださいよ。」と言っているそうだ。

この方たちに言えることは、好奇心があるということ。自分の仕事をもっと良くするために、他人の話を聞いて新しい情報を取り入れることを大切にしている。自分の店に何か売り込もうとしているということは、相手は自分の店に興味を持っているということ。(そうでもない営業もあるかもしれないけど。)

定常業務に追われて忙しいから、どんなセールスも十羽ひとからげにして追い返すのでは自分の成長は怪しくなる。

セールスの話は取りあえず聞いてみましょう。←少々都合の良い結論ではある

(以上2006年01月26日の投稿)
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なんてことを書いたのだけれど、歳を重ねた今あらためて考えてみても、これは、たしかに人が成長するひとつのポイントなんだろうと思う。自分は成長の機会を逃していないか、振り返ってみないと。




2015年8月8日土曜日

創り出された黒いシチュエーション

スタウトビールを飲むのに最高のシチュエーションって、どんなときだろう。

久々に会う親しい友人とのディナーに早く着きすぎ、ちょっと後ろめたい勇み足で、前菜の白レバーのペーストに合わせ、レストランのカウンター席でひとりガージェリー・スタウトを飲むときだろうか。


1ヶ月かかった仕事にやっと目処がついた残業帰り、最寄り駅にほど近い古い飲屋街の中にある行きつけのいかしたバーで、夏の夜の風を感じながら、ガージェリー23ブラックを飲むときなんじゃないか。


なんでそんなことをするのかわからないが、いきなり酒肴かデザートか聞いてくるあのバーで、思い切って後者を選択し、禁断のフォンダンショコラに合わせてガージェリー23ブラックを飲むときなのかも。


あのさ、

これらがどれも、妄想ではなく、現実にあり得るということが、

サイコー。

2015年8月1日土曜日

足元を見られているか

月に2回ほどの出張に出ると、基本は営業に出ているわけだから、歩くのが仕事のようなもの。飲食店が夜の開店準備を始める15時くらいから本格稼働で街をあっち行きこっち行き、それが深夜まで続く。歩く歩数は1日25,000歩くらいが平均か。距離でいうと15km強くらいになるのかな。だから足元は大事。

服にあまりお金をかける方ではなく、洗いざらしのシャツにチノパンみたいな比較的ラフな格好をして仕事をしているけれど、靴がちゃんとしていると、締まって見えるような気がする。靴もそれほど高価なものは買わない。でも、ここの見栄えはしっかりしていたい。だから、靴の手入れはそこそこマメに。



2015年7月21日火曜日

シェフに任せてみよう

イタリアンで、お奨めのカルパッチョの盛り合わせに小麦のビールを合わせ。



フレンチでは、ペールエールにグルヌイユ プロヴァンサル。


って、何ですの?

え、か、か、かえるですか〜。

でも、ばっちり合う!


シェフに任せてビールと料理。これは楽しい。

ちなみに、どちらも仙台市内。





2015年7月13日月曜日

北の街で聞いたストーリー

東京から数百キロ北の、ある街でのお話。

そのバーテンダーは数年前に東京のバーで働いていたときに、そこでサーヴしていた特別なビールを思い出した。今勤めているバーのオーナーと、何か目新しいものはないかと話していたときだ。「ガージェリー」っていうビールがあるとオーナーに話した。ただ、東京を中心に展開していたはずだから、この街で販売できるかはわからない。

そんなある日、彼が街を歩いていると、昔見慣れたものが目に付いた。宅配便の車に積んである荷物の一つ。それはビール樽だった。

なんと、ガージェリーの樽。

びっくりした。まさかここでガージェリーの樽を見るなんて。

いったいどのお店で売っているんだと思い、宅配便の車を追いかけた。

ほどなく宅配便が停まったのは、ある新しいレストランの脇。

それをオーナーに伝え、早速そのレストランへガージェリーを飲みに行く。そこにあったのは、ガージェリー・スタウトとガージェリー・エステラのタワー。この街にガージェリーの樽を2種類とも扱っているお店があったなんて!

そしてもうひとつの驚きは、レストランの主人は、オーナーと中学時代の同級生だったこと。レストランのカウンターで、オーナーと並び、一緒にガージェリーを飲む。



うまい!

オーナーは、レストランの主人に仁義を切った。自分のお店でもガージェリーを扱って良いかと。

もちろん、問題があろうはずがない。


一方、レストランの主人も数年前までは、東京のダイニングバーに勤めていた。そこでガージェリーを扱っており、自分が故郷に帰りお店を持ったときには、このビールを提供したいと思っていた。それを実現させたのだ。

そしてガージェリーの樽が、自分のお店にガージェリーを愛するバーテンダーと旧友を引き寄せた。


間もなくバーではガージェリーの瓶がサーヴされることになった。

オーナーとバーテンダーはちょくちょくレストランに寄っては、「やっぱり樽はいいなぁ」などと言いながら美味しそうに飲んでいるそう。


このボクはと言えば、出張先で、ガージェリーを飲みながら、このレストランのご夫妻から話を聞き、その後にバーのオーナーからもガージェリーを飲みながら話を聞いた。すごくいい男だなと見惚れながら。


そして、東京に帰り、少し想像も交えながら二つの話を繋げて、こうしてこの文章を書いている。

愛されるというのは、本当にしあわせなことだ。

な、ガージェリー。

2015年7月7日火曜日

コストはスタウトな資産になり、資産はスタウトなブランドになる

先日、醸造所の見学会。ガージェリーの製造委託をしている新潟の醸造所にお客様をお連れして、ビール造りの現場を〝かぶりつき〟で見ていただいた。やはり現場って説得力がある。言葉をいくつ並べるよりも伝わるものが伝わる。

自分自身もあらためて感じるものがあった。何しろ10数年ぶりだ。前職の大手ビールメーカーの工場には幾度となく足を運んだが、この春からここが自分の商品の製造拠点だ。

一番印象的だったのは、ガージェリー・スタウトの麦汁。

大手のビール工場で普段見る麦汁とは異次元の濃さ。


この濃厚濃褐色の麦汁を100日以上かけて醗酵・熟成させる。1つの液種にそんなに長い期間タンクを占領させるというのは、ビール会社にとっては製造効率上の重荷になる。言い方を変えるとコストだ。

そして、熟成を終えたビールを、毎日受注した分だけ樽詰めし、すぐ翌日には飲食店に冷蔵便で届ける。通常は一度に樽に詰めてしまい、樽として在庫をする。さらに卸や酒販店の在庫を経てからお店へ届くことになる。それをしないで、コンディションの良いビールを届けるために毎日毎日の手間を惜しまない。人件費、コストは積み上がる。1樽1樽冷蔵の宅配便なんてコストの塊だ。しかし、すべては品質のため。

これを一年365日休むことなく12年以上続けているのが、ガージェリーだ。

簡単には真似できない、プレミアム。

上っ面の言葉ではない。

さて、コスト、コスト、と言ったが、これも実は少し違っていると思っている。

愚直に続けていくことで、これは「資産」に変わるのだ。

そして、それは「ブランド」。

2015年6月22日月曜日

それでも、次の駅へ向かう

ボクは暗い気持ちになっていた。

お得意先だったバーの営業開始時間に行っても人がいない。しばらく経っても誰も来ない。それが2回続いたので、ネットで調べてみた。そうしたら何と、そのバーテンダーさんは3ヶ月前に亡くなっていたのだ。ボクにとっては初めての訪問で、これからよろしくお願いします、と挨拶をするはずだった。会ったことのない人だが、自分が愛するビールを扱ってくれていた、大切な人だ。若かったのだと思うけれど、脳溢血で急だったらしい。オーナーさんは別にいらっしゃるみたいで、お店はしばらく休業ということらしい。

それは3ヶ月前のことだ。ボクがこの仕事に戻ってくるより前のことだ。それでも、やはり重い気持ちになる。

自分ももう50手前だから、そういうことはいつも隣り合わせだと思っている。だから、残された人生を意味のあるものにするために、こういうことも生きる原動力にする気持ちの切り替え方を身につけてきた。


次の得意先へ足を向ける。

電車に乗り、久しぶりに降り立つ駅。

iPhoneのgoogle Mapをにらみながら路地に入る。

見つけた。ここも初めての得意先。


ミートソース専門店の素晴らしく美味しそうなパスタ。和牛スネ肉のミートソース。


愛するビールとともにあっという間に完食。


美味しいものを前にすると、やはり幸せな気分になる。

生命を食して、幸せな気分になっている。


さて、明日もちゃんと生きようじゃないか。


2015年6月16日火曜日

スタウトに始まりスタウトに終わる

食事をいただきながら飲むお酒は、軽いものから入るというのが、一般的なんだろうと思う。ビールならピルスナーとか、ワインならスパークリングなんかが、食欲を増進させるかもしれない。

しかし、最初の一杯から食事と合わせるのであれば、おいしさを洗い流すようなものではなく、おいしさにおいしさを重ね合わせていく、という飲みものが良いと思う。


一般的にはね、スタウトビールを最初に持ってくるなんて、と思うでしょうが、こういう状況で、フレッシュなスタウトビールというものを飲んでみればわかってもらえる。


こんな感じの料理にも、特に魚介類には素晴らしく合う。比べてみると、ピルスナーなどの下面発酵ビールは魚介類と合わせると硫黄っぽい香りが気になるかもしれない。


もちろん、ワインもいただきます。(写真には出ないけど。)


こんな料理にも、スタウトビールを合わせたくなるのは、知っているから。


嘘だと思うなら、銀座のLINK DININGへ行ってみてください。(ワインも飲んでね。)



普通は、これで十分満足なのだけれども、銀座のここまで来たら、寄るよね、煙事

とんでもなくうまい豚肉を使ったブタ玉子丼には燻製醤油を使ったソースがかかっている。


そして、それに合わせるのが、またスタウトビール。

ガージェリー・スタウト。


 スタウトの懐は本当に深いのである。

2015年6月9日火曜日

ブランドを背負って、雨の中を行く

数日前に、とある外国から来日中の方と渋谷のカフェで待ち合わせたのだけど、桜ヶ丘の上の方のちょっとわかりにくい場所だったからか、1時間以上待ちぼうけ。

その間、最近話題になったビールを飲んでみた。このカフェを経営する会社がサンクトガーレン社と共同で開発したビールとのことで、原材料としてグレープフルーツとマカを使用しているのが大きな特徴。グレープフルーツ由来か、マカ由来か、ほろ苦い後味が小気味良い。

Shibuya Beer

最近流行りの「クラフトビール」と「エナジードリンク」を合わせたようなコンセプトと味わい。狙ってますね、っていう感じかな。

一時のイベントで終わってしまうのか、永続するブランドとして育てるのか、ブランドを背負って立つのは誰なのか、そこがよくわからないけれど。渋谷生まれの渋谷育ち(場合によって原宿生まれの原宿育ちとも言う)のボクとしては、「渋谷」をブランド名とした以上は、責任を持って育ててもらいたいと思う。


そんなことを考えながら、仕事へ戻る。

雨が降り始める。


20年以上前、ボクが大手ビール会社で営業の仕事を学び始めた頃、大先輩から教わったことの中で印象深いのは、天気の悪い日こそ飲みに出ろ、っていう一種の経験則のようなこと。簡単に想像がつくと思うのだけど、天気が悪ければみんな飲みに出ない。つまり飲み屋は暇なことが多い。そんなときに飲みに行くことで、喜こんでもらえるし、お店の人とコミュニケーションも取りやすい。あの頃はまだバブルの名残もあり、営業マンは事務所の女性を引き連れて、傘をさしてみんなで街に繰り出したっけか。

で、今のボクはといえば、そんな景気の良い飲み方はできないものの、あの経験則に習い、雨の中、いつも以上に気持ちを入れて回るわけだ。


これを何年やっただろう? これをあと何年やるだろう?


それができるのは、なにか使命感があるからだ。



「ブランド」を背負って、

 ひとり、


おニューのカバンを気遣いながら、

ズボンの裾をべっちょり濡らして、


夜の街を行く。


なぜかキリンちゃんがいる









2015年5月26日火曜日

新しいストーリーの前に

さて、今、ボクが何をやっているかと言うと、7年半のブランクを埋めることだ。確かに僕はこの7年半の間もガージェリーをよく飲んでいたし、社長をはじめとする関係者と多少の交流はあった。でも主体としてはブランクと言うよりなく、その間に、どんな人たちとどんなストーリーがあったのかを知らなければ、次を語る資格はない。なぜならブランドは、一旦世に出た以上、もはや生み出した人間だけのものではなく、顧客のものでもあるからだ。

ましてや、ボクが離れて以降、大きな変化が2つあった。

ひとつは、瓶のガージェリーが生まれたこと。もともとガージェリーは樽だけのビールとしてスタートさせた。詳しくは別の機会に譲るが、瓶内熟成/Bottle Conditionedというコンセプトを得てガージェリーはさらに懐の深いブランドになった。


もうひとつは、展開範囲が東京都内から全国へ広がった。瓶の発売によるものが大きいが、ガージェリーはフットワークを得て、こういう商品に興味を持つ可能性の高い、バーテンダー、ソムリエ、利酒師といったお酒のプロがいるお店を中心に全国へ広がり始めたこと。


これらの変化について、頭では理解できる。ビールを飲むこともできる。

けれども、ガージェリーが飲食店限定であるがゆえ、さらには、お店との関係性を大切にするブランドであり事業であるからこそ、それだけでは全く十分でない。これまでの間に個々のお店とどんなストーリーを共有してきたか、それが一番重要なことだ。

だから、ボクのブランクを埋める作業というのは、人に会うこと。そして、語り合ってお互いのストーリーを共有すること。


そうしている中で、自分が持っている想いと、お店の人や、お店で会ったお客さんたちが持っている想いが絡み合い影響し合って、大きなうねりのようなものができてくる。


そこから、次のストーリーを始めたい。