2016年12月12日月曜日

ブランドの存在価値、約束は守る

2002年12月12日、この投稿を書いているちょうど14年前になる。その5ヶ月前にキリンビール社内でやっとのことで決裁をもらい会社を設立したボクら、株式会社ビアスタイル21の事業開始当初の唯一の商品、樽詰ビールのガージェリー・スタウトが取扱いの飲食店で初めてサーヴされた。(ビアスタイル21とキリンビールとの資本関係は2007年に解消)
そのお店は、代官山のシンポジオンというフレンチレストランだった。日本人オーナーシェフとして初めてミシュラン1つ星を獲得した平松宏之さんが経営するお店での取り扱い決定に、とても勇気づけられた覚えがある。

なんと言ってもスタウトビールだ。日本ではスタウトと言えば、ギネスと、アサヒとキリンが出している小瓶のスタウトがビール好きになんとか知られているくらいで、普通ではビールって言えば、スーパードライかラガーかっていう中で、「GARGERY」なんて何て読むのかもわからないようなブランド名と共に販売する10リッター樽だけの濃厚な黒ビールである。樽詰ビールだからディスペンサーの設置も必要で、開栓したら10リッターを数日以内に売り切ってもらわなければならない。しかもそれを、ビールをバンバン売っているようなビアパブや居酒屋ではなく、ワインやカクテルをメインにしているような、お洒落なハイエンドレストランやオーセンティックバーに的を絞って案内していた訳で、それはそれはハードルが高かった。

ただ、唯一の救いは、最初は「黒ビール??」っていうネガティブな反応をしていた人たちが、リュトングラスを見ると「おっ」と惹きつけられ、さらに試飲すると、「ビールサーバー、置けるかなぁ」なんて、途端に前向きになるという、圧倒的な商品の魅力。前向きに検討してもらった上で、前出のハードルが立ちふさがることになる。

そんな中で、最初に取扱いを開始いただいたのは、代官山「シンポジオン」、赤坂「燻」、銀座「煙事」、青山「スパイラルカフェ」、麻布十番「ザ・トウキョウレストラン」、ホテルオークラ「ハイランダー」などのそうそうたる顔ぶれだった。(この中で現存し、かつガージェリーの取り扱いを継続いただいているのは、燻、煙事、ハイランダー)今思えば、よくやったなという感じだ。


以降、社員4名、最大5名になり、キリンを離れてからは、しばらく2名、そして今は3名という体制で、とにかく飲食店へガージェリーを紹介する営業活動を黙々と続けて14年が経過。商品は樽詰が2種になり、2009年から瓶商品を順次3種発売して合計5種類になった。14年で5種類っていうのは他の大小ビール会社と比べて極端に少ないものだと思う。新商品で売るのではなく、ただただ定番をコツコツと足で広げたのだ。現在、取扱店は全国で1,000店を超えるまでなった。

話は最初に戻るが、代官山にはちょっとした因縁を感じる。というのも、ガージェリーの母体だったキリンが昨年、代官山にスプリングバレーブルワリーを開業したからだ。スプリングバレーブルワリーというのはもともとキリンビールの前身となる日本初のビール醸造所の名前。だから、ガージェリーを創業してまもない頃は、そのスプリングバレーを引き合いに出して、こんな記事を書いていただいたこともあった。<http://www.b-shoku.jp/tokushu/projectb/12/(2005年当時の記事)>

その元母体は、代官山だけでなく、国内最大手クラフトのヤッホーや、アメリカのブルックリンに資本を入れて、いろいろ本腰を入れてきているようだ。14年前にはとても考えられなかったよなぁ。

さて、そんなわけで、短いようで色々あった14年だった。ボク自身も途中7年半、ガージェリーから離れていた。しかし、世の中、とりわけビール市場がいかに変わったとしても、確固として変わっていないことがある。それはガージェリーの味、デザイン、そして飲食店限定ビールであるということだ。飲食店限定と銘打っておきながらいつのまにかコンビニエンスストアの棚に並んでいたっていう商品はいくらでもある。14年間、飲食店限定を貫いている商品はそうないだろう。飲食店限定を守ることが良い悪いという話ではない。飲食店以外でも飲みたいというお客様の要望に応えるという考え方も当然あり得る。それは、それぞれの生き方の問題だ。

ただ、約束を守る、ということが、ブランドの存在価値だということは忘れてはいけない。

「ブランド」という言葉の本来の意味を考えてみれば、明白なことだ。

ガージェリーは14年間守ってきた約束を、さらにずっと守り続ける。