2017年2月21日火曜日

伝説との接点

中目黒のはずれにある一軒家、日本食ダイニング HIGASHI-YAMA Tokyoのラウンジバーでガージェリーが飲めるようになったので、挨拶にうかがった。

HIGASHI-YAMA Tokyoの玄関へは建物の横にある階段を上がり二階の高さにある庭を通って行くのだが、このラウンジは通りに面した一階の出入口から入っていける。裏口かと思うような扉を開けると建物の底に組み込まれている雰囲気のあるラウンジバーが。そのバーカウンターの向こうに立っているバーテンダーのオーラが尋常じゃない。

どなたかと思ったら、あの梅リキュール「星子」の生みの親、伝説のバーテンダー、デニー愛川さんだったのだ。

正直なところ「星子」という梅リキュールがデニー愛川さんがプロデュースしたものだとは知らなかった。ガージェリーを始めたばかりの頃、お店で見たこのブランド。そのお店のオリジナルなのかな?と思っていた覚えがある。そう思っていたら少しずつ他のお店でも見るようになって、結構ガージェリーと共通するものがあるような気がしていた。



もう一つ接点があったのは愛川さんが以前経営されていたバーがボクの実家と極めて近い場所にあったことがわかった。そんなお話をしながら、星子を使ったカクテルをつくっていただいた。



製造設備を持たずに自分のブランドのお酒をつくる。小さくとも、大事に、ゆっくり、そのブランドと共に人生を歩んでいく。素敵だ。星子も、ガージェリーも。

デニーさんは当面このラウンジバーのゲストバーテンダーとして毎週月曜から木曜まで入っていらっしゃるとのことだ。

いやはや、こういう出逢いがあるから飲み歩きはやめられませんな。


<デニー愛川さんを知るために>

2017年2月6日月曜日

一枚、一枚、想いを込めて

家庭用プリンターで印刷してパウチっていう作業をこれほど繰り返している人たちはそういないんじゃないかと思う。ビールに限らずお酒の製造販売に関わっている人で、これだけの数を繰り返し繰り返しやっている人たちはまずいない。自慢できることでもないけれど。


ガージェリーは飲食店だけの展開で、大きな宣伝をしているわけではなく、15年続けていても知名度は相変わらず高いとは言えない。だから、いかにお店で目を引いて興味を持っていただくかが重大事。そしてブランドイメージ上、安っぽく見えるものは困るのでデザイナーにお願いしているわけだけど、それを印刷会社でプリントして一律にそのまま使うわけにはいかないということがある。

というのも、樽が2種類、瓶が3種類しかないとはいえ、お店によって扱いアイテムが違うし、価格設定も違う。お店毎にちょうど良いサイズというものもある。これを掛け算すると無数のパターンのデザインが必要になるわけで、あらかじめ全て印刷して持っておくというわけにはいかない。だから、デザイナーが作ってくれた基本パターンを、お店の要望に応じて自分たちがパソコンでカスタマイズした上で、必要数だけプリントしてパウチをしているわけ。


上の女性の横顔のイラストは、一昨年から使っているデザインで、とても評判がいい。取り扱いのアイテムによって、この女性が持っているビールの色が黒だったり褐色だったりして、これまた微妙な違いながら相当多くのパターンがある。

2003年以降様々なデザインのものを作ってきたが、中でも自分にとって一番思い入れがあるのは、この生け花のデザインで2004年に作ったもの。ガージェリー・スタウトをいかにエレガントでひと味違う黒ビールとして見せようかとしていたことがよくわかる。


裏面は、作家さんにガージェリーをイメージして書いていただいたショートストーリーだった。一番最初に書いていただいたのは後に芥川賞を受賞される絲山秋子さんだったし、四番目は翌年に直木賞を取る角田光代さんに書き下ろしていただいたものだった。こういうことを始めたのも、差し込みメニューを継続的に飽きずに使っていただくために、季節ごとに新しいものを用意した方が良いと思ったから。毎シーズン、家庭用プリンターで印刷してパウチして、各店に配るという地味な作業を続けていたのも、お客様にこの全く無名だったビールを気に留めてもらおうと必死だったからだ。


ところで、この差し込みメニューの裏のガージェリーストーリーは、今はメニューからは離れて独立したブランドカードとして年に2回ほどのペースで展開している。毎回違う作家さんにストーリーを書いていただき、反対面にそのストーリーをイメージしたイラストを、これまたそれぞれ違う絵描きさんに描いていただいている。


こんな感じで、これまた好評。ちなみにこの紫バックのイラストの反対面は12年ぶりに角田光代さんに書き下ろしていただいた、なんと2004年のストーリーの12年後のお話だ。12年の間に30人以上に書いてもらったが、今回の角田さんは初めての2回目をお願いした作家さんとなった。


このカードは、さすがにプリンターで印刷しているのではなく、印刷屋さんでどっさり印刷しているが、配り方はといえば、原則としてボクら3人がお店を訪問する際に手渡ししている。先ほどの差し込みメニューも、お店と打ち合わせた上で作成しているが、このカードにおいてもお店との直接のコミュニケーションを原則としていることは変わらない。

なんとも地面を這い回るような仕事だが、愚直に黙々と続けていると、何年も経った時に相当な力になってくる。それを今すごく感じている。

2002年に生まれたこのブランドは、今や深く深く根を張っている。これは一朝一夕には真似できないものだと、少し誇りに思っている。