2017年12月4日月曜日

その場所で待っている

ああ、12月、しかも2017年という、少し前まではすごい未来のことに思っていたブレードランナーのような西暦。どんな未来に来てしまったのか。
などと感慨に耽りがちなこの12月は、ガージェリーにとって少し意味がある。最初のビール「ガージェリー・スタウト」が初出荷されたのが2002年12月なので、ちょうど15周年になる。
それまでこの世に存在しなかった「GARGERY」という読み方もよくわからない銘柄で、海のものとも山のものともわからない不思議なデザインのグラスに注がれた黒ビール。これだけで一つの会社を作り、青山にコンセプトショップまで出してしまった。



当時は大手ビール会社の社内ベンチャーとしてのスタート。今でこそ大手メーカー各社もそれぞれの形でクラフトビールカテゴリーに参入しているけれども、当時が今と大きく違ったのは「クラフトビールブーム」の流れは全くなかったし、「地ビールブーム」はすでに過去のものになっていた時期だった。そんな時によくあんなことをやったものだと思う。

今クラフトビールシーンを盛り上げている、中小、そして大手の各造り手とガージェリーが異なるのは、ブランドコンセプトへの重心の置き方、そしてその在り方だと思っている。造り手の想いが乗った多様なビールを楽しむ文化の創出、というのが、今のクラフトビールブームを動かしてる意志のようなものだと理解している。だから、ブルワーが誰か、いかに個性があるビールか、というのが前面に出ることが多い。
一方、ガージェリーはというと、ビアスタイル21「事業」立ち上げの意志として、そういう要素はあったのだが、「ブランド」としての立ち位置はぐっと飲み手側になる。飲み手が大切にしている自分の時間に、自分に戻るためのパートナーでありたい。いつもそこにいて飲み手を待っていたい。そういうブランドでありたい。そのためには、ワイワイガヤガヤゴクゴクというシーンで飲まれるビールではなく、ビールというよりは、新しいアルコール飲料として見てもらいたい。そういう想いを持って創り出したのがガージェリーなのだ。



そのコンセプトを大事にしながら15年間、ブランドを広める活動をしてきた。結果として、各社のクラフトビールが主に売られている場所と、ガージェリーが売られている場所は大きく異なっている。実際、クラフトビールの品揃えを売りにしているビアバーのようなお店でガージェリーを見ることはほとんどないし、ガージェリーをサーブしているお店でクラフトビール中心のお店は極めて少ない。(そんな中で、昔からガージェリーのコンセプトに共感してくれて、ずっと定番にしてくれているビアバーがあるのは嬉しいことだ。)大手の主力ブランドを除いて、ガージェリーと同じお店に置いてあることが一番多いビールの銘柄は何かというと、ちゃんと数えた訳ではないが、ハートランドかもしれない。同じ大手ビールメーカー内でガージェリーよりもずっと前に生まれたビールだが、ブランドとしての在り方がよく似ていると思う。
GARGERYのブランド名の由来をあらためて紹介しておく。チャールズ・ディケンズの小説『大いなる遺産』において、主人公の少年ピップは通常あり得ない大きな環境の変化を経験し、その中で心が揺れ動くわけだが、そんなピップをずっと変わらずに支え続けたのは、彼の育ての親であり一番の友人だった鍛冶屋のジョー・ガージェリー(Joe Gargery)だった。



お酒は様々なシーンで飲まれるけれど、その中でも、飲み手が自分と向き合ったり、大切な人と過ごすときに選ばれるビールであって欲しい、そんな思いを持って、この真面目で優しい鍛冶屋の名前を取り、GARGERYというブランド名にしたのだ。
いつも、ここに立ち返らないといけない。旧友のように変わらず、“その場所”で待っていてくれる。そういうブランドなんだと。そのコンセプトに共感してもらえるお店と共に。
12月、飲む機会が増えると思いますが、大切な友人との大切な時間、その場所、素敵な飲食店で、是非ガージェリーを(^ ^)!

2017年10月28日土曜日

あいそ良く行こう!

あっという間に10月が終わり、きっとあっという間に年末になるのだろうと思う。それでもただただひたすらガージェリーをサーブする素敵なお店を回り続けている。


今週は東京、神奈川、埼玉と、夜な夜な徘徊していたのだけど、最後の締めは東十条「食堂あいそ」。カウンターだけの小さな飲み屋さん。家庭的なんだけど、べったりということでなく、洗練されたものを持っている、とても面白いバランスのお店。


 立地から常連が多いのだけど、初めて入る人も居心地の良さを感じることは間違いない。


ビールはガージェリーエステラと、クラフトビールの瓶が数種類。あとは国産ワインを主体にしている。


若い店主ご夫婦と、以前にもお会いしたことがあるお客様と談笑、飲み回り5軒目だけにややろれつが怪しくなってしまった。


やわらかとろりの抹茶プリンをいただいたて帰ろう。

今週もお疲れ様!

色々あるけれど、笑顔で来週も!

2017年9月16日土曜日

彼女の笑顔とともに

何度か書いてきたと思うけれど、ガージェリーはブランドとして女性の飲み手を強く意識している。それは、リュトングラスからも感じ取ってもらえるのではないかと思う。女性が手にすると一段と映えるデザインだ。

そういうことって、やはり女性は敏感だと思う。ガージェリーは女性オーナーのお店、女性バーテンダー、女性ソムリエのお店に気に入っていただき、活かされていることが多い。お酒を飲むのには雰囲気が大切、ということだ。

神戸三宮にも、女性バーテンダーの素敵なバーが2店ある。それぞれの特徴があるけれど、どちらも空間がとても柔らかく感じる。内装デザインもそうだし、もちろんそこに立つ人が醸す空気だ。

Bar COVO
中山手通と北野坂の交差点に立つビルの地下、白いカウンターが印象的だ。妖精が飛び交うようなキラキラとした光の中で凛々しい女性バーテンダーが微笑む。

うさぎ
賑やかな東門街の一角のビルの6階に上がり暖簾をくぐると、一瞬背筋が伸びるような凛とした和の空間。シェリー酒を中心にしたバーに笑顔が魅力的な女性バーテンダー。

どちらもすごくリュトンが似合う。

神戸に来たら外せないバー2店だ。

ゆるりと夜を過ごしましょう。

2017年8月15日火曜日

そばにいて欲しい

早くて暑い夏が通り過ぎて梅雨に戻ってしまったかのようだけど、熱帯のような気温と湿度の日々のダメージは残っているわけで、優しさに触れたい今日この頃。

世田谷線の上町駅から歩いてすぐ。気をつけておかないと通り過ぎてしまいそうなビルの地下にある蕎麦屋さん。


蕎麦屋さんなんだけど、店内の雰囲気は、サーフィンの動画がプロジェクターで流されていたり、洒落たソファ席があったりで、ダイニングバーとでも言った方が良いのではという雰囲気。


こうやってガージェリーを注文すると、ますますそんな感じになるわけだけど、れっきとしたした本格的な蕎麦屋さんなのです。


蕎麦屋の酒や酒肴のことを蕎麦前(そばまえ)と言うそうだけど、もちろん充実しているわけで、ガージェリーから始まって日本酒へ行き、あれやこれや一品料理を頼んでいると、ゴールへ辿り着くのが大変(笑)。


ほろ酔いでいい感じになったところで、真打の登場。お酒の後の蕎麦はほんとうまい。いやはや良い店です。惜しむらくは当店が自宅の近所ではないこと。上町にお住いの方が羨ましい。


さあ、お盆休みシーズンも終わって8月も後半。

気を巻き直していくとしますか。

2017年7月22日土曜日

大物に挟まれて

猛暑の昼下がり、遅いランチで渋谷 宇田川町のカフェレストランに逃げ込みました。


ハイネケンにハートランド、ヒューガルデンにギネスと、国内国外の大ブランドに挟まれて、涼しい顔してガージェリーひとり立っている。



これがガージェリーの面白さ。


もうすぐ15周年(^。^)

2017年6月27日火曜日

138億年目のステージ

少し前に何かで話題になっていた『サピエンス全史』という本を読んだところ、忘れかけていた理数系の血が騒ぎ出し、宇宙の始まりまで遡ってみる気になり、Amazonがお奨めしてくれる本のうち、これはという2作品を読んでみた。そもそも『サピエンス全史』は理数系か?ということが疑問に思えるかもしれないが、この本の冒頭で言っていることが、その点をなるほどと思わせる。そしてボクの心を鷲づかみにしたわけだ。



135億年前のビックバンによって物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。宇宙の根本を成すこれらの要素の物語が「物理学」。

その30万年後に、物質とエネルギーが融合し始め、原子と呼ばれる構造体をなし、さらに原子が結合して分子ができる。原子と分子とそれらの相互作用の物語が「化学」。

38億年前に地球上で特定の分子が結合し有機体(生物)を形作った。その有機体の物語が「生物学」。

7万年ほど前に、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、精巧な構造体である文化を形成し始めた。その人間文化の発展が「歴史」。

そうか、物理と歴史は繋がっているんだ!という新鮮な驚きを感じさせた後、本書は、人類の歴史には三つの重要な転換点「認知革命」「農業革命」「科学革命」があり、最初の認知革命こそ「歴史」を始動させたものであると、本題に入って行く。認知革命で人類は「虚構」をつくり集団で協力することを始める。神話、宗教、そして株式会社も虚構だ。これによって人類は、多くの生物の一種から、地球上で突出する存在となった、とくるわけだ。

この本はすごく長いので、だんだん眠くなるのだが()、「物理から歴史へ」のリレーの話と「虚構」の話は、ボクの心に深くめり込んだ。



そしてこの本に刺激を受けて、地球上で生物が誕生するまでの、物理学から生物学へ至る話に俄然興味が湧いてきたわけだ。

Amazonのお奨めの中から選んだ2作品、サイモン・シン『宇宙創成』と吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか』はそれぞれなかなか面白かった。どちらも理解するのが少し難しい内容も含むし、結構長いので眠気との戦いはもちろんあったのだが、それぞれがインスピレーションを与えてくれた。

 


なぜ宇宙が生まれたのかはわからない。だけど人類が存在するのが、なぜ宇宙が始まって138億年後なのかは説明できる。これより前でも後でも生物は存在し得ない、と言われたら、ちょっと詳しく聞かせて欲しくなるよね。

誕生直後の宇宙は満遍なく一様な状態にも見えたが、何らかの「ゆらぎ」があり、物体を凝集させる重力が作用した。宇宙誕生から数千万年以降に、ヘリウムと重水素からできる恒星ができ、恒星内部の核融合で重い元素が作られ、超新星爆発で宇宙空間にばらまかれた。これが繰り返され宇宙空間を漂う重い元素が増え、ヘリウムより重い元素を含む新しい恒星ができる。

水素と酸素は、それぞれ宇宙で1番目と3番目に多い元素(2番目はへリウム)だそうだ。星が核融合を開始すると、強烈な光を放つとともに、水素や水蒸気などガス成分が吹き飛ばされる。

地球のような惑星の誕生の過程は省略するが、誕生直後の地球上にあった水分は大部分が蒸発して宇宙空間へ放出されてしまう。しかしマントルに染み込んでいた水分が火山活動によって大気中に放出されたものに加え、多くの水分を含む小天体が地球に衝突することで供給されたと推測される。

太古の地球で蒸発した海水が大気中で雷を受けたり、隕石の影響、海底での熱水噴出などによりアミノ酸が合成される「化学進化」があった。

ビッグバンの直後は高温で一様に見えた宇宙には「ゆらぎ」があり、長く複雑な過程を経て炭素、窒素、酸素など様々な元素が生まれる。超新星爆発などにより水分が宇宙を移動し、海を持つ惑星が誕生。その惑星上で化学進化が起こされる。この過程は、宇宙が今の段階だから起こり得るわけで、さらに膨張を続ける宇宙では生命の生まれる余地はなくなっていく。

 

様々な研究がなされ、この内容には賛否もあるのかもしれないし、自分がどこまで理解できているのか極めて怪しいのだけれど、ボクの心を捉えたのは「ゆらぎ」だ。

「ゆらぎ」がこの宇宙に物体を生み、長い時間をかけて生命を生んだ。生物が進化していく過程も「ゆらぎ」と表現してもいいかもしれない。そして生まれた人類は「虚構」によって文化を形作り、歴史が始まった。

宇宙が膨張する気の遠くなるような過程で、たまたま生まれた物質が複雑に変化を遂げて自我を持ち、他と結びつくための虚構を生み出している。それは億年単位の宇宙時間の中では吹けば飛ぶような短時間での出来事だ。なんとも、虚しくもなりロマンティックにもなる話じゃないか。このイメージが昨今の自分の頭の中をぐるぐる回っている。

たまたまこの時代に、地球上のこの辺りに生まれて、少し前の少し別の地域で作られた飲み物、使われた道具や文字を組み合わせて、「どうです、これがガージェリーだ」と、この辺りに生まれた他の人々に新たな「虚構」として広めている。たまたまの「ゆらぎ」が誰かをこの「虚構」と巡り合わせて、歴史の一場面をつくっている。

ボクはこうイメージする。

宇宙の中では刹那的に短い時間だけれども、偶然に偶然が重なり、ボクらは「生」というステージを用意してもらった。その考え自体は「虚構」なのだが、それを「物語」と呼ぶことでエネルギーを生み出し、ステージ上で美しく力強く舞い踊る。その一瞬のために宇宙が誕生したと言っても、否定することはできない。

ステージ上で舞うことが、生きていること。


そして、ゆらぐことも、生きていること。


2017年5月4日木曜日

ハートの中に30年残れるか

うはは、うまそうな鮎のコンフィ!ピンク色だよ〜。


何気なく入ったお店が、思っていた以上に良いお店だと得した気分で、とても嬉しい。そして、普段から感じていることだけど、そういうお店にかなりの高い確率で置いてあるのが、キリンのハートランドだ。30年前にキリンビールが「キリンの名のつかない」ブランドとして発売したこのビールは、初期の評判の良さに乗って早い時期に樽と瓶に加えて缶商品を発売し数年で終売するというマーケティングの失敗をしたものの、その後、ほとんど広告らしい広告をしない中で少しずつ広がり、いつの間にか30年だ。大々的な広告をしても1〜2年で頓挫してしまいリニューアル再発売を繰り返し結局は終売となる多くの銘柄を横目に、発売当時のデザイン・香味のままで個性的なポジションを得た稀有なブランドだ。キリンビールに26年勤めた自分としても、キリンが販売する多くの銘柄の中で特別に好きなブランド。だからこうしてハートランドとガージェリーが並んでいると嬉しいし、嬉しい以上のものがある。



ハートランドは昨年で30周年、ガージェリーは今年、その半分の15年。ガージェリーも元は2002年にキリンビールの社内プロジェクトで生まれたブランドだ。2007年にキリンビールを離れることになったわけだが、「キリンの名のつかない」ブランドをつくる、というハートランドと共通点を持つミッションの中で生まれたビールなのだ。「キリン」という消費者にとって信頼できるブランドを冠さないということは、消費者と商品の関係の新しいあり方を探すことでもある。それにはブランドコンセプトが極めて大事。

自分はもうキリンの人間ではないので、ハートランドのコンセプトについて語る立場にないが、ハートランドのコンセプトは「素(そ・もと)」。飾らず、流行や権威、既存の価値観にとらわれない、ということだ。一方、ガージェリーがブランドコンセプトとした言葉は「元型 (archetype)」という、心理学における概念なのだが、人々の心の中のあり無意識に作用する共通の〝何か〟であり、ハートランドのコンセプトに比べると少々小難しいが、人の心の中にいつも一緒にいるような存在でありたい、という気持ちを込めていると受け止めて欲しい。


さて、鮎のコンフィとは全く関係ない話に飛んでしまったが、そこに戻るのは諦めて(笑)、ブランドについての話を進めたい。

ガージェリーがハートランドと並んでいると自分が嬉しく安心するのは、ブランドイメージに関わる要素が大きい。ブランドと消費者の関係をつくっていく上で、商品をどこに置くかは一番大きな問題だ。どういう飲み手が、どういう状況の時、こういう場所で、こういう飲まれ方をしたい。ビールの造り、品質管理はもちろん重要だが、それだけではなく、背景となるストーリー、世界観、ものの見方、切り口、そういうことを飲み手に、たとえ漠然とであっても伝えたい。マナー、トーンと言ったらテクニック臭くなるが、人の感情に寄り添うような優しいイメージのブランドとして心に残って欲しい。そうしたいと願った時に、消費者との接点に誰がいて欲しいか、何と共にあって欲しいかは、自然と決まってくる。それがビアスタイル21の営業活動をどうするかにも繋がってくる。


話は少し変わるが、人はグループ分けをする。そうすることで物事を理解しやすくする。ビールに関して言えば、大手ブランド以外は、ひと昔前は「地ビール」、今は「クラフトビール」。多くの人はどうしても二者択一で決める傾向にあり、その結果、ガージェリーも「地ビール」か「クラフトビール」というグループに入ることになる。ただ、その二分割の切り口で理解されると、先に書いたマナーもトーンも伝えにくくなってしまう。大抵はそういう理解をしたところで止まってしまうし、その切り口はガージェリーをガージェリーたらしめている要素とは関係が薄いからだ。まあ世の中は自分だけに都合よく動いているわけではないのだし、クラフトビールブームがガージェリーの追い風になっていることも事実ではある。

さて、ハートランドのことを「キリン」の商品だと知らない人がどれだけいるかわからないが、「キリンらしくない」もしくは「日本の大手メーカーらしくない」ブランドであることに異を唱える人はあまりいないだろうと思う。またクラフトビールというカテゴリーを意識しているようにも見えない。ここでは突っ込んで書かないが、正直、クラフトカテゴリーを意識するあまり、いくつかの大手ブランドが迷走しているように思っている。それに対してハートランドの清々しさ、足場の揺るぎなさ、それがコンセプトの強さということなのだが、その出自もブランドのあり方もガージェリーと共通点があるということで、並んでいると落ち着いた気持ちで見れるという、そういうことなのだ。


そんなわけで、遅ればせながら、ハートランド30周年、おめでとうございます。

ガージェリーも15年、次の15年も飲み手の心の中に残っていくブランドになるよう、精一杯やっていきます!

(冒頭の鮎のコンフィの写真、2枚目の写真は武蔵小山のLe Boisにて撮影)





2017年3月6日月曜日

黒とともに生きている

何度か書いているが、2002年にビアスタイル21社を立ち上げたとき、商品はガージェリー・スタウトだけだった。10Lの樽詰ビール。しかもかなり濃い黒ビール。このビールだけで勝負しようとしたのだ。無謀なことにも思えたが、そんな選択をした自分たちが好きだった(笑)。

今でこそクラフトビールブームでIPAとかペールエールなどという言葉を知っている人が増えてきているけれど、当時はまだ発泡酒が大いに世を賑わしていて、とにかく価格だとかキレだとか、いかにビールに近いかっていうのが争点だった。大手以外のビールと言えば、当時は下火になっていた「地ビール」で一括りっていう感じだったが、それも大抵見た目は褐色程度の色を前面に出しているものが多かった。そこを、こんな真っ黒な液体だけでいったわけだ。

なぜか?インパクトが欲しかった?それもある。


一つ目の答えは「おいしかった」。単純だが、出来上がったものがとてつもなくおいしかったから、これに、あれやこれや選択肢をつくることが得策とは思えなかったのだ。

二つ目の答えは、この黒ビールが間違いなく「新しい価値」を持つと思ったから。つまり、これまでのビールや黒ビールの文脈ではなく、全く別の文脈でお客様に提案できる。その強いイメージを持つことができたのだ。

欧米人が賑やかなパブでパイントグラスを持って談笑しているのではなく、サラリーマンが居酒屋でジョッキでグイグイ飲んでいるのでもなく、

30代くらいの女性が、バーカウンターやカフェテラスで、このビールを一人、エレガントに、ゆったり飲んでいる光景がくっきり浮かんできた。


わかりやすく例えると、今は多少シーンが変わっているとは思うが、当時のスターバックスコーヒーを思い浮かべて欲しい。マグカップで飲むアメリカンコーヒーとは全く異なる飲み物として出現した、あのカフェラテ。しかも、それは飲み物としてだけではなく、洒落た空間で贅沢な気分で、という、空間と時間をも取り込んだものだった。

それが、ビールでもできる、と思ったわけだ。

理屈ではなく、この〝黒〟はオーラを持っていた。



それを実現するために、全身全霊をもって、取り組んだ。

リュトングラスに注いだスタウトビールを、素敵な空間で飲めるようにしたい。

それが、2002年のガージェリーの始まり。

だから、ガージェリーの中でも樽のガージェリー・スタウトは別格の存在。

2017年2月21日火曜日

伝説との接点

中目黒のはずれにある一軒家、日本食ダイニング HIGASHI-YAMA Tokyoのラウンジバーでガージェリーが飲めるようになったので、挨拶にうかがった。

HIGASHI-YAMA Tokyoの玄関へは建物の横にある階段を上がり二階の高さにある庭を通って行くのだが、このラウンジは通りに面した一階の出入口から入っていける。裏口かと思うような扉を開けると建物の底に組み込まれている雰囲気のあるラウンジバーが。そのバーカウンターの向こうに立っているバーテンダーのオーラが尋常じゃない。

どなたかと思ったら、あの梅リキュール「星子」の生みの親、伝説のバーテンダー、デニー愛川さんだったのだ。

正直なところ「星子」という梅リキュールがデニー愛川さんがプロデュースしたものだとは知らなかった。ガージェリーを始めたばかりの頃、お店で見たこのブランド。そのお店のオリジナルなのかな?と思っていた覚えがある。そう思っていたら少しずつ他のお店でも見るようになって、結構ガージェリーと共通するものがあるような気がしていた。



もう一つ接点があったのは愛川さんが以前経営されていたバーがボクの実家と極めて近い場所にあったことがわかった。そんなお話をしながら、星子を使ったカクテルをつくっていただいた。



製造設備を持たずに自分のブランドのお酒をつくる。小さくとも、大事に、ゆっくり、そのブランドと共に人生を歩んでいく。素敵だ。星子も、ガージェリーも。

デニーさんは当面このラウンジバーのゲストバーテンダーとして毎週月曜から木曜まで入っていらっしゃるとのことだ。

いやはや、こういう出逢いがあるから飲み歩きはやめられませんな。


<デニー愛川さんを知るために>

2017年2月6日月曜日

一枚、一枚、想いを込めて

家庭用プリンターで印刷してパウチっていう作業をこれほど繰り返している人たちはそういないんじゃないかと思う。ビールに限らずお酒の製造販売に関わっている人で、これだけの数を繰り返し繰り返しやっている人たちはまずいない。自慢できることでもないけれど。


ガージェリーは飲食店だけの展開で、大きな宣伝をしているわけではなく、15年続けていても知名度は相変わらず高いとは言えない。だから、いかにお店で目を引いて興味を持っていただくかが重大事。そしてブランドイメージ上、安っぽく見えるものは困るのでデザイナーにお願いしているわけだけど、それを印刷会社でプリントして一律にそのまま使うわけにはいかないということがある。

というのも、樽が2種類、瓶が3種類しかないとはいえ、お店によって扱いアイテムが違うし、価格設定も違う。お店毎にちょうど良いサイズというものもある。これを掛け算すると無数のパターンのデザインが必要になるわけで、あらかじめ全て印刷して持っておくというわけにはいかない。だから、デザイナーが作ってくれた基本パターンを、お店の要望に応じて自分たちがパソコンでカスタマイズした上で、必要数だけプリントしてパウチをしているわけ。


上の女性の横顔のイラストは、一昨年から使っているデザインで、とても評判がいい。取り扱いのアイテムによって、この女性が持っているビールの色が黒だったり褐色だったりして、これまた微妙な違いながら相当多くのパターンがある。

2003年以降様々なデザインのものを作ってきたが、中でも自分にとって一番思い入れがあるのは、この生け花のデザインで2004年に作ったもの。ガージェリー・スタウトをいかにエレガントでひと味違う黒ビールとして見せようかとしていたことがよくわかる。


裏面は、作家さんにガージェリーをイメージして書いていただいたショートストーリーだった。一番最初に書いていただいたのは後に芥川賞を受賞される絲山秋子さんだったし、四番目は翌年に直木賞を取る角田光代さんに書き下ろしていただいたものだった。こういうことを始めたのも、差し込みメニューを継続的に飽きずに使っていただくために、季節ごとに新しいものを用意した方が良いと思ったから。毎シーズン、家庭用プリンターで印刷してパウチして、各店に配るという地味な作業を続けていたのも、お客様にこの全く無名だったビールを気に留めてもらおうと必死だったからだ。


ところで、この差し込みメニューの裏のガージェリーストーリーは、今はメニューからは離れて独立したブランドカードとして年に2回ほどのペースで展開している。毎回違う作家さんにストーリーを書いていただき、反対面にそのストーリーをイメージしたイラストを、これまたそれぞれ違う絵描きさんに描いていただいている。


こんな感じで、これまた好評。ちなみにこの紫バックのイラストの反対面は12年ぶりに角田光代さんに書き下ろしていただいた、なんと2004年のストーリーの12年後のお話だ。12年の間に30人以上に書いてもらったが、今回の角田さんは初めての2回目をお願いした作家さんとなった。


このカードは、さすがにプリンターで印刷しているのではなく、印刷屋さんでどっさり印刷しているが、配り方はといえば、原則としてボクら3人がお店を訪問する際に手渡ししている。先ほどの差し込みメニューも、お店と打ち合わせた上で作成しているが、このカードにおいてもお店との直接のコミュニケーションを原則としていることは変わらない。

なんとも地面を這い回るような仕事だが、愚直に黙々と続けていると、何年も経った時に相当な力になってくる。それを今すごく感じている。

2002年に生まれたこのブランドは、今や深く深く根を張っている。これは一朝一夕には真似できないものだと、少し誇りに思っている。


2017年1月24日火曜日

古巣のこと、クラフトのこと

数日前のことだけど、27年前の古巣の仲間と飲んだ。

古巣というのはキリンビールのこと。26年の間に一緒に働いた仲間が沢山いるし、今も同じ業界にいることもあり、常にその動向は気になっているのだけれど、昨年の業績はかなり厳しいものだったようだ。一方で同社は大手ながらクラフトビールカテゴリーでの展開にも意欲的で、代官山のブルワリーレストランを拠点にしてクラフトビールの通販をするスプリングバレーブルワリー事業を立ち上げた。そしてクラフトビールの最大手ヤッホーブルーイング社に資本を入れた上で事業提携し、一部のビールの製造を請け負い、キリンビールによる「よなよなエール」の樽の販売も始めている。さらにはアメリカの有力クラフトビール会社ブルックリンブルワリーにも資本を入れ日本での販売を準備している。

前置きが長くなったが、そのキリンビールに入社したばかりの頃の同僚と飲んだというだけの話(笑)。ただそのお店のビールの品揃えから、あらためて思うところがあったので書き留めている。


そのお店はベルギービールを中心としつつ、さらに日本のクラフトビールをずらりと品揃えたビアレストラン。ガージェリーの取扱店としては少し珍しい業態なのだが、ありがたいことに気に入っていただき声をお掛けいただいた。そしてほぼ同時に取り扱いを始められたのが「よなよなエール」。キリンが造り、キリンが販売している「よなよなエール」と、そのキリンビールが10年前に手放したガージェリーが卓上で並び、そんなことは思いもよらなかった時代の古い仲間が昔話に花を咲かせたわけ。
当時、つまり1990年前後、アサヒスーパードライをどうする!?とやっきになっていたあの頃とはだいぶ世の情勢も変わった。キリンはドライビールや一番搾りを含め数々の新商品で対抗してきたが、結局スーパードライの成長を止めることはできず、大きく販売シェアを落としトップメーカーの座を明け渡すことになった。

そんな中で、僕らは2002年にキリンビールの社内ベンチャーとしてガージェリーを立ち上げ夢を膨らませたが、2007年には、簡単に言えば「戦力外通告」を受けてガージェリーはキリンから離れることになった。正直、あの時キリンの中にガージェリーを残していれば、随分違ったストーリーがあったのではないかと残念な気持ちはある。僕もキリンを辞めることはなかったかもしれない。


そして、冒頭に書いたような、この数年のキリンのクラフトビールへの力の入れ具合を見ると、それなりに思うところはあるわけだ。まあ、それは過ぎた話なので、それ自体にどうこうは言うまい。今は今でなかなか楽しい状況になっているわけだし。それよりも気になるのは同社のこれからだ。正直心配。

さて、また改めて書きたいと思うが、日本でのクラフトビール市場はそろそろ新しいステージを迎えようとしていると思う。それは全体で言えば決して楽観できるものではない。アメリカのクラフトビールがビール市場全体の10%以上を超え、さらに伸びているということから、まだそれが1%程度である日本においては大きく伸びる余地があるという見方がある。そもそもクラフトという切り口は曖昧なところがあり、「クラフトだから美味い」というのも誤解。造り手の資本が大きかろうが小さかろうが、手でホップを入れようが、装置でホップを入れようが、美味いか不味いかは別問題。さて、乱立しつつあるクラフトビールメーカー、ブームを過信したのではという不安の残る大きな設備投資。その中で、今後何が重要なポイントになってくるだろう。


それは単純なことで、飲み手との架け橋になる「ブランド」だ。美味しいビールを造り、飲み手に美味しい状態で届けるのは最低線。その上で、美味しいビールやお酒の選択肢が覚えきれないほど数多ある中、飲み手に継続して買いたいと思ってもらい、これが難しいのだが、ちゃんと行動に移してもらう。そのストーリーを描くことができるブランドが生き残っていく。

この点に関しては、僕の考えでは、最近の大手メーカーもかなり間違ったことをしていると思っている。多くのナショナルブランドが迷走しているように思う。クラフトビールメーカーに関しては、これを真剣に考えている会社はごく僅かしかないと感じる。

ビジネスという観点では、大手もクラフトも、今年が分岐点になるだろうと思う。