2018年9月2日日曜日

メルボルンに想いを馳せて

20094月から20113月まで、僕はオーストラリアのメルボルンにいた。ビール会社が買収した乳業会社に駐在員として単身赴任していたのだ。今回はそこでの仕事の話ではなく、“音楽活動”について書きたい。突然書きたくなった。

メルボルンの街中はストリートミュージシャン、大道芸人が多い。現地ではBuskerと言う。日本では一度もやったことはなかったが、もともと人前で演奏するのが好きな自分は、当地の路上ミュージシャンのレベルが結構ピンキリなのを見て、この人がOKなら自分も...なんてことで少し興味を持っていた。とはいえ、初めての海外駐在、外国だけに当初は勝手もわからないし勇気もない。駐在1年10ヶ月が過ぎた頃に、ついに思い立った。Buskerには許可がいる。事前に身分証明と演奏内容等を市に届け出て許可証を発行してもらう。取ってみれば、あっけないものだったが、腰を上げた直後に会社から日本へ戻る異動の内示が出た。最初の路上演奏の前日だ。結果としてメルボルン思い出づくりリサイタルみたいになってしまったわけ。まあ、だからこそ、それから毎週末にムキになって街に出た。

決行の一ヶ月前くらい前に路上演奏に必要な道具を揃えた。アンプ、マイク、スタンド、譜面台を買い、演奏曲の譜面をコピーしてファイルに整理。そして一番重要なのは演奏そのものだから、もちろん集中して練習をした。どの曲が路上で映えるかを考えつつ。



いよいよ初演奏の晩、夜の8時頃、道具を持って外に出た。僕の住処はCROWNカジノのすぐ近くだった。観光客が練り歩くYarra川沿いは深夜まで多くの人が出歩いている。本格的なバンド演奏をしている人たちもいれば、曲芸師もいる。土曜だけに人通リもBuskerも多く賑やか。どこでやろうかと彷徨って、とりあえずここかなと、BuskerBuskerの間で演奏の準備を始めたら年配のBuskerが寄ってきて、ここは隣のBuskerに近すぎるのでダメだという。よくよく話してみると、どうやら自分がこの近くで始めようとしているから、あっちへ行けということを遠回しに言っているんだということに気づいた。まあ、ベテランと争ってもしかたないので、やや不満顔ながら道具をまとめて場所を移動した

先の場所より少々暗いが人通りもある。他のBuskerは見当たらない。ここでいいんじゃないかと、改めてマイクスタンドや譜面台、アンプをセッティング。いよいよ生まれて初めての、しかも海外での路上演奏。多少緊張もしているから、やや指先がもつれる感じではあるが、だんだん調子に乗ってきた。



長渕剛や吉田拓郎の歌を歌っていると、アジア系の人たち、たぶん中国人や韓国人の比較的若い人が立ち止まって、お金を投げ入れてくれる。Bob Dylanを歌うと西欧系の年配の方々の反応が良い。サザンのいとしのエリーは案外、西欧系の若い女性が反応する。エリーさんなのかしら?なんて思いつつ。

そして90分ほど演奏したところに、黒スーツのいかついお兄さんが二人やってきた。ここはCROWNカジノの私有地だから演奏はだめだと言う。あらら、そりゃ申し訳ありませんでしたと素直に謝ったら、ちゃんと許可証も提示してるし、今やめてくれたら問題ないよ。と優しく対応してくれた。

気づいてみるとギターケースにかなりコインが入っている。5ドル札も1枚。お金に興味があってやっているわけではないけど嬉しかった。44歳の初体験だった。



2011320日の日曜日が7回目でかつ最後のBusking。毎回それなりに何かしらあったけど、その日は印象的なことが2つあった。場所はやはりYarra川沿いのSouthgateからCrownカジノへ向かう遊歩道。時間は夕方6時くらいだったか。

演奏の準備のためマイクスタンドを組み立てギターをアンプにつないでいると10人くらいの団体さんが通りがかった。そのうちの2名は見たことのあるお顔。メルボルン総領事館の皆さんがお客さんと食事に出かけるところ。総領事館の代表の方が是非一曲聴いていきたいとおっしゃるもんで、急いで準備を済ませBob Dylanの“Blowin' in the wind”を歌った。

それからしばらく経って、長渕剛の素顔を歌っていた。まさに純日本フォーク。普通の感覚だったらこんなところで演奏する曲じゃない。でも7回の路上演奏の経験で、案外こういう歌が外国人の興味を引くこともわかってきていたし、歌っていてまた気持ちが良い。ちょい気温が高かったこともあり汗だくになって歌っていた。すると、通りがかった若いカップルの一人、女の子が立ち止まり、じっと聴き入っている。ついには曲の最後まで聴いてくれて歩み寄ってきた。「その曲はあなたが作ったのか、それとも誰かの曲か?」と。曲名、アーティスト名、そしてボクの名前をメモって、待ちくたびれた感じの彼氏と去っていった彼女はロシア人。メルボルンに語学留学に来ているとのこと。その彼女とは今もfacebookで繋がっている。

全部で7回の演奏は、各90分くらいずつやった。毎回汗だくになり、指の爪は割れた。



途中、東日本大震災が起こった。


2週間後に帰国する日本はいったいどうなるのか?いろいろな思いをもって、声を張り上げた。

メルボルン市の職員に2度ほど音が大きいと注意された。マイクの音量を下げろというが、どうやらマイクを使わずとも自分は十分大きな声らしい。

90分に1回か2回くらいは冷やかしをする奴らが通りかかる。自分が思いを込めて歌っているときに邪魔をされると頭にくるので、一人蹴っ飛ばしちゃった。

結果として、いただいたチップ181豪ドルはオーストラリア赤十字へ寄付。豪ドルに混じって投げ込まれていた1中国元、10インドルピー、2米ドルは記念に手元に残すことにした。

あれから7年か。しかし企業の駐在員とは思えないことやっていたな。