2014年10月29日水曜日

仮タイトルについて

このブログのタイトルを「その後のマーケティング戦略部長日記(仮)」としている。「仮」というのは何じゃらほい?「本 」になるのはいつなんだ?と思うのは当然、そして「その後の」というからには、「前 」があったんだろうと思うのも至極当然。前者については、これから環境が動き、僕自身が動くことで決まっていくものと信じている。後者については、確かに「前」があった。

「マーケティング戦略部長日記」というブログを書いていた。それは、2005年から2006年にかけての1年強だったと思う。仕事と趣味の公私混同、大手ビール会社の仕事としてはまずあり得ない形。その大手企業の出資ではあるものの、小さな小さなベンチャービジネスだったからこそできたのだろう。会社での肩書きをそのままブログタイトルにし、でも会社のオフィシャルな仕事というよりは、ほぼ趣味としてやっていた。言葉を変えれば、趣味が仕事…、ああ、なんて 理想的な生き方(^ ^;)。

顧客のレストランやBarで とのやり取り、飲んだときの出来事、仕事や商品にかける想いなどを、毎晩帰宅後に1〜2時間かけて書き上げて アップした。たくさんのブログ仲間ができた。ブログランキングのお酒部門で1位を獲得した時期もあった。雑誌で紹介されたこともあった。当時はFacebookもTwitterもGoogle+も無かったが、あれが今の環境だったらどうなっていただろうかと想像し、ちょっと悔しい気もしている。

ブログ終了後はネット上から削除してしまったが、wordにペーストして記録は取ってある。読み返してみると、ほんとよく書いたものだと自分ながら感心する。

さて、そして今、書くことがはっきり決まっていないからタイトルも定まらない。にも関わらず、こうして書き始めている自分。まあ、ただの徒然日記か。いやいや退屈なわけではなく、ことは動き始めている。前回にも書いたが、自分は会社を退職して、新しく踏み出すキャリアを探っている。それが何になるのか、それがこのブログの本タイトルに繋がる可能性は高い。

未確定の未来は数ヶ月後に必ずやってくる、はずだ。




2014年10月16日木曜日

25年間に乾杯

2014年10月10日が最終出社だった。正確にはまだ退職ではなく、しばらくの間の退職準備休暇を経てから、四半世紀の間、世話になったこのビール会社を正式に退職する。
大学卒業後、1980代終盤に入社、実家が酒屋ということもあり、ビール業界のマーケティングには興味があった。アサヒスーパードライの発売で競争が激しくなっていたこともあり、多いに暴れてやろうと意気揚々、最初の配属地である大阪へ赴いた覚えがある。
大阪では営業企画部門で販売促進イベントやキャンペーンの仕事を4年間、そして 次の4年半は営業に出て量販店や百貨店を担当。大阪の後は岐阜へ異動になり、業務用酒販店、温泉旅館、ホテル、ゴルフ場、スキー場などを回って、樽生ビール開拓の毎日だった。
岐阜で4年が過ぎたとき、“新しいビジネススキームによる新しいブランドのビール事業を企画する”という業務の社内公募に合格し本社に配属、その翌年に新会社を設立し、業務用専用のプレミアムビール「G」を発売した。この会社は数年後に親会社の資本を離れ、自分は母体に戻ったが、「G」は10年以上経った今でもBarやレストランで着実に広がり続けていることが誇らしい。
ここから急に海外事業畑に投げ込まれ、持ち株会社で、海外の食品会社のM&Aに携わった。仕事のパートナーも、投資銀行や弁護士事務所などと様変わりした。月の残業が200時間を超えるときもあった激務を経験した後、現地駐在員として海外赴任が2年間。買収した会社と母体の海外飲料事業とのシナジーを探る役割だった。
日本に戻り、国内ビール事業の海外展開を推進する担当として、日本ブランドビールの海外展開をを本格的にスタートさせ、ヨーロッパ、アメリカ、中国、東南アジア 各国での事業展開に携わった。
そして最後の1年はノンアルコール飲料事業のマーケティング部門で、新商品開発と新規事業開発を同時並行で進めるような仕事をした。
それぞれ簡単に書いたが、実に多様なビジネス経験をさせてもらった。その間には、気持ちが折れそうになるようなことも何度かあったけれど、振り返れば、人々の、おいしい、うれしい、楽しい を提供する仕事ができたのは、本当に幸せなことだ。この会社と、ここで一緒に働いた仲間たちに深く深く感謝したいと思う。
ありがとう、そして、25年間に乾杯。

海外事業に携わっている頃、本社から見た夕焼け。

2014年10月5日日曜日

感謝週間

ただいま送別会ラッシュのまっただ中。四半世紀、25年間働いた会社なので、それはそれなりに人間関係がある。現在の部署、取引先、以前の部署、同期、飲み仲間、などなど。会社を去る事についての名残惜しさは思ったより強くない。その理由 を書き出せば長くなるが、もっとも重要な人づきあいについて言えば、仲の良い人たちとはFacebookやLINEで繋がっていて、今後もお互いの近況を共有し合えるし、逆に、同じ会社にいても、こう大きな会社だと、それぞれあちこち転勤で何年も会っていない人は少なくない。こんなところでも コミュティのあり方が変わってきたんだと強く感じる。

取引先の皆さんに開いていただいた送別会で、自分が来年2月の東京マラソンに当選したことから、マラソングッズをいただいた。これを着て当日走ることを約束した。

さて、今週金曜日が最終出社。この会社に入る直前、つまり大学を卒業する時、サークルの文集に書いた言葉を繰り返そう。

「次の自分が楽しみだ。」