2017年6月27日火曜日

138億年目のステージ

少し前に何かで話題になっていた『サピエンス全史』という本を読んだところ、忘れかけていた理数系の血が騒ぎ出し、宇宙の始まりまで遡ってみる気になり、Amazonがお奨めしてくれる本のうち、これはという2作品を読んでみた。そもそも『サピエンス全史』は理数系か?ということが疑問に思えるかもしれないが、この本の冒頭で言っていることが、その点をなるほどと思わせる。そしてボクの心を鷲づかみにしたわけだ。



135億年前のビックバンによって物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。宇宙の根本を成すこれらの要素の物語が「物理学」。

その30万年後に、物質とエネルギーが融合し始め、原子と呼ばれる構造体をなし、さらに原子が結合して分子ができる。原子と分子とそれらの相互作用の物語が「化学」。

38億年前に地球上で特定の分子が結合し有機体(生物)を形作った。その有機体の物語が「生物学」。

7万年ほど前に、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、精巧な構造体である文化を形成し始めた。その人間文化の発展が「歴史」。

そうか、物理と歴史は繋がっているんだ!という新鮮な驚きを感じさせた後、本書は、人類の歴史には三つの重要な転換点「認知革命」「農業革命」「科学革命」があり、最初の認知革命こそ「歴史」を始動させたものであると、本題に入って行く。認知革命で人類は「虚構」をつくり集団で協力することを始める。神話、宗教、そして株式会社も虚構だ。これによって人類は、多くの生物の一種から、地球上で突出する存在となった、とくるわけだ。

この本はすごく長いので、だんだん眠くなるのだが()、「物理から歴史へ」のリレーの話と「虚構」の話は、ボクの心に深くめり込んだ。



そしてこの本に刺激を受けて、地球上で生物が誕生するまでの、物理学から生物学へ至る話に俄然興味が湧いてきたわけだ。

Amazonのお奨めの中から選んだ2作品、サイモン・シン『宇宙創成』と吉田伸夫『宇宙に「終わり」はあるのか』はそれぞれなかなか面白かった。どちらも理解するのが少し難しい内容も含むし、結構長いので眠気との戦いはもちろんあったのだが、それぞれがインスピレーションを与えてくれた。

 


なぜ宇宙が生まれたのかはわからない。だけど人類が存在するのが、なぜ宇宙が始まって138億年後なのかは説明できる。これより前でも後でも生物は存在し得ない、と言われたら、ちょっと詳しく聞かせて欲しくなるよね。

誕生直後の宇宙は満遍なく一様な状態にも見えたが、何らかの「ゆらぎ」があり、物体を凝集させる重力が作用した。宇宙誕生から数千万年以降に、ヘリウムと重水素からできる恒星ができ、恒星内部の核融合で重い元素が作られ、超新星爆発で宇宙空間にばらまかれた。これが繰り返され宇宙空間を漂う重い元素が増え、ヘリウムより重い元素を含む新しい恒星ができる。

水素と酸素は、それぞれ宇宙で1番目と3番目に多い元素(2番目はへリウム)だそうだ。星が核融合を開始すると、強烈な光を放つとともに、水素や水蒸気などガス成分が吹き飛ばされる。

地球のような惑星の誕生の過程は省略するが、誕生直後の地球上にあった水分は大部分が蒸発して宇宙空間へ放出されてしまう。しかしマントルに染み込んでいた水分が火山活動によって大気中に放出されたものに加え、多くの水分を含む小天体が地球に衝突することで供給されたと推測される。

太古の地球で蒸発した海水が大気中で雷を受けたり、隕石の影響、海底での熱水噴出などによりアミノ酸が合成される「化学進化」があった。

ビッグバンの直後は高温で一様に見えた宇宙には「ゆらぎ」があり、長く複雑な過程を経て炭素、窒素、酸素など様々な元素が生まれる。超新星爆発などにより水分が宇宙を移動し、海を持つ惑星が誕生。その惑星上で化学進化が起こされる。この過程は、宇宙が今の段階だから起こり得るわけで、さらに膨張を続ける宇宙では生命の生まれる余地はなくなっていく。

 

様々な研究がなされ、この内容には賛否もあるのかもしれないし、自分がどこまで理解できているのか極めて怪しいのだけれど、ボクの心を捉えたのは「ゆらぎ」だ。

「ゆらぎ」がこの宇宙に物体を生み、長い時間をかけて生命を生んだ。生物が進化していく過程も「ゆらぎ」と表現してもいいかもしれない。そして生まれた人類は「虚構」によって文化を形作り、歴史が始まった。

宇宙が膨張する気の遠くなるような過程で、たまたま生まれた物質が複雑に変化を遂げて自我を持ち、他と結びつくための虚構を生み出している。それは億年単位の宇宙時間の中では吹けば飛ぶような短時間での出来事だ。なんとも、虚しくもなりロマンティックにもなる話じゃないか。このイメージが昨今の自分の頭の中をぐるぐる回っている。

たまたまこの時代に、地球上のこの辺りに生まれて、少し前の少し別の地域で作られた飲み物、使われた道具や文字を組み合わせて、「どうです、これがガージェリーだ」と、この辺りに生まれた他の人々に新たな「虚構」として広めている。たまたまの「ゆらぎ」が誰かをこの「虚構」と巡り合わせて、歴史の一場面をつくっている。

ボクはこうイメージする。

宇宙の中では刹那的に短い時間だけれども、偶然に偶然が重なり、ボクらは「生」というステージを用意してもらった。その考え自体は「虚構」なのだが、それを「物語」と呼ぶことでエネルギーを生み出し、ステージ上で美しく力強く舞い踊る。その一瞬のために宇宙が誕生したと言っても、否定することはできない。

ステージ上で舞うことが、生きていること。


そして、ゆらぐことも、生きていること。