さて、前回の投稿で2006年ブログを再掲したけれども、今読んでもわくわくしてきますな。
ビール市場に関して言えば、あれから9年の間に大手メーカーのプレミアム競争、ノンアルコールビール競争、機能性ビール系飲料競争、流通プライベートブランドビールのプレゼンスアップ、そしてクラフトビールの台頭、大手のクラフトカテゴリー参入などなど、いろいろあって、市場環境はだいぶ変わったけれども、ガージェリーはまだ新しいと感じる。それは、ガージェリーが、大手ともクラフトビール・地ビールの各社とも明確に異なるコンセプトを持って展開しているからなのだと思う。
その詳細は、追い追い飲み歩きながら語っていくとして、このブログのタイトルを「その後のマーケティング戦略部長日記(仮)」から「ビールの新しいストーリーをつくろう」にすることにした。
2006年のブログのサブタイトルが「東京外食マーケットから、新しいビールのストーリーをつくろう」。ガージェリーはすでに東京からエリアを広げて展開している。各地のバーやレストラン、そこで働くスタッフの人たち、お客さま、みんなの力を得て、まだまだ新しいストーリーは、太くなり、うねりながら、前へ進んでいく、そんな想いを込めたタイトルだ。
ここは、別所個人の私的ブログだけれども、プライベートとオフィシャルをきっちり分けることは不可能。ガージェリーはボクのライフワーク。
さあ、新しいストーリーは、次のステップへ。
飲食店専用プレミアムビールを展開する先鋭的ビール会社の経営者が、街を飲み歩き、撮って、語って、時々弾き語る、公私混同ブログ。目指しているのは「外飲みをもっと楽しく、魅力的に!」
2015年4月28日火曜日
2015年4月18日土曜日
マーケティング戦略部長日記【最終回】
このブログの「その後のマーケティング戦略部長日記(仮)」というタイトルはもうそぐわない状態になりました。だからタイトルを変えます。その前に、このタイトルの元となった「マーケティング戦略部長日記」、つまりボクが2005年4月2日から2006年7月17日の1年3ヶ月ほどに渡ってlivedoor blogで書いていたブログ、その最終回を再掲したいと思います。内容は2006年当時のままなので、もちろん現状と異なることもあります。あらかじめお含みおきを。
さて、いよいよ最後の記事です。
最後だから少しはマーケティング戦略部長らしい話も交えながらオサライをして参ろう。
ボクらの会社は3人でやってる。
社長兼ビール醸造責任者の“Gマス”、営業戦略部長、そしてマーケティング戦略部長。
それが“G”だ。
既存のビール業界を否定するのではなく、新しいものを創らなければいけないと思った。アンチテーゼだけじゃ人を惹きつけることはできない。ビールが本来持っている可能性を引き出して、さらに他にはない魅力を加えたい。
願わくば、飲んでいただいた人たちの生活や人生を演出する名脇役として長く愛されるものを創りたい。一番売れるビールではなくても、一番愛されるビールを創りたい。そういう想いでこの 4 年半やってきた。
ボクらの資産として最も大きいものは有形ではなく無形資産。
それは「ブランド」だ。
つまり“G”ブランド。 この“G”ブランドをお客さんに認識していただくためには、グラスのデザインは極めて重要。“G”が樽 生だけで展開する以上、形としてお客さんの目に触れるのはグラスだからだ。
若い頃にイメージしていた“ヤングエグゼクティブ”みたいな仕事とはずいぶん違う。 “マーケティング戦略部長”なんて名刺を作ってみても、実際の仕事内容は、グラスや樽の運搬だったりする。
それでもだ、
素敵なお店に巡り逢うのが楽しい。
“G”は、お客様の前で花のように咲いているだろうか。
“G”のストーリーはまだまだ続く。実はこれからが面白い。
でも、みねバンと“G”の公私混同ブログはこれで終了。
ああ、これで終わっちゃいますね。
***************
『回想するにはまだ早い』
2006年7月17日
最後だから少しはマーケティング戦略部長らしい話も交えながらオサライをして参ろう。
ボクらの会社は3人でやってる。
社長兼ビール醸造責任者の“Gマス”、営業戦略部長、そしてマーケティング戦略部長。
“G”の事業を始める前、ボクらは日本のビール業界に疑問を持っていた。ビジネスとして“量”ばかりを
志向した商品。広告イメージ先行の商品。そして酒税法の隙間をついた価格訴求型の商品がますます広
がっている。
一方で消費者の嗜好性は着実に高まってきている。ワイン、日本酒、焼酎について一定の知識を持って
楽しむ人は明らかに増えているし、モルトウィスキーを語る人もいる。ビールについても地ビール、ベルギービールなどについて小さな流れが始まっているように思えた。
既存のビール業界の真ん中にいて感じるこの乖離感は何だろう。
お酒が大好きだから、ビールが大好きだから、やりたいことが噴出してきた。
既存のビール業界の真ん中にいて感じるこの乖離感は何だろう。
お酒が大好きだから、ビールが大好きだから、やりたいことが噴出してきた。
それが“G”だ。
既存のビール業界を否定するのではなく、新しいものを創らなければいけないと思った。アンチテーゼだけじゃ人を惹きつけることはできない。ビールが本来持っている可能性を引き出して、さらに他にはない魅力を加えたい。
願わくば、飲んでいただいた人たちの生活や人生を演出する名脇役として長く愛されるものを創りたい。一番売れるビールではなくても、一番愛されるビールを創りたい。そういう想いでこの 4 年半やってきた。
ボクらは醸造所を持たないビール会社を設立した。
本格的に独自のブランド展開を志向した“コントラクトブリュー(契約醸造)”という日本では初めてのビジネスモデルのビール会社。Gスタウトを造っているのは新潟の醸造所。Gエールを造っているのは静岡県の醸造所。Gマスがビールのレシピを作り原材料の手配をし定期的に現地へ通って醸造管理をしている。
飲食店からいただく注文の数だけ毎日樽詰めをして、その翌日に冷蔵便でお店に届ける。
365 日無休で「昨日詰めたばかりの樽生ビール」を飲食店に届ける。
3 人で 365 日営業をしているボクらもボクらだが、それに付き合っていただいている醸造所の方々に感謝しなければいけない。
醸造所を持たないボクらにとって唯一の有形資産はビールの樽だ。オリジナルの樽をベルギーの会社に発注。ラベルシールなどは自分たちで貼る。
本格的に独自のブランド展開を志向した“コントラクトブリュー(契約醸造)”という日本では初めてのビジネスモデルのビール会社。Gスタウトを造っているのは新潟の醸造所。Gエールを造っているのは静岡県の醸造所。Gマスがビールのレシピを作り原材料の手配をし定期的に現地へ通って醸造管理をしている。
飲食店からいただく注文の数だけ毎日樽詰めをして、その翌日に冷蔵便でお店に届ける。
365 日無休で「昨日詰めたばかりの樽生ビール」を飲食店に届ける。
3 人で 365 日営業をしているボクらもボクらだが、それに付き合っていただいている醸造所の方々に感謝しなければいけない。
醸造所を持たないボクらにとって唯一の有形資産はビールの樽だ。オリジナルの樽をベルギーの会社に発注。ラベルシールなどは自分たちで貼る。
ボクらの資産として最も大きいものは有形ではなく無形資産。
それは「ブランド」だ。
つまり“G”ブランド。 この“G”ブランドをお客さんに認識していただくためには、グラスのデザインは極めて重要。“G”が樽 生だけで展開する以上、形としてお客さんの目に触れるのはグラスだからだ。
だから誰もが一度見たら忘れられない形、しかもブランドとしてメッセージをしっかり持っているデザ
インにした。
台座の穴に入れないと自立しないコーン型のオリジナルグラスはガラスメーカーの職人さんを大いに困らせた。それでもなんとかやってしまうのが“職人”だ。
古代の酒器である角杯をイメージしたグラスは“G”の顔。
エレガントなシルエットは“G”のマーケティングターゲットにした30~40代の女性の手によく似合う。
そう、こだわりのビールをビールに詳しい人たちに訴えたかったんじゃない。外食を楽しみ美味しいものを知っていて、普段はワインやカクテルを飲んでいるような彼女たち。彼女たちに「新しいアルコール飲料」として“G”に出逢って欲しかった。
だからボクらは“東京外食マーケット”のど真ん中からスタートした。
“G”の品質に対するこだわりを理解いただくことが前提で、通常の大手ビールに比べると数割価格が高いプレミアムビールに対する受容性を持ち、お客さんがそういうものを楽しみたいと思えるシチュエーションを提供する飲食店。
ってなことを考えながら、メンバーと喧々諤々議論しながら、街を歩いた。
お店の方に最初「新しいビール会社です。」と挨拶すると、たいていは「うちはビールは決まってるから。」とそっけなく言われる。しかもスタウトビールだと知ると「うちは黒ビールは売れないよ。」
でも、とにかく試飲していただく約束を取り付け、重たい試飲キットを持参。
最初はネガティブな反応をしていた人が、このキットを準備している最中、角杯に目を奪われ、これにビールがサーヴされると風向きが変わる。一口飲んだ後には「ディスペンサーを置く場所があるかなぁ。」などと急に具体的な会話になったりして。
しかし取り扱いが始まってからの方が難しい。無名のビール、しかも“黒ビール”を注文するお客さんはそんなに多くはない。お店の人がリコメンドするか、メニューでかなりアピールしていただかなければビールが回転しない。ビールが古くなって味が落ちたものを出したら“G”もお店も評判を落とすだけ。扱っていただかない方が良かったということになる。
だからPOPが重要な役割を果たす。普段はあまりPOPを置かないようなお店でも使用していただける
センスのあるデザインが肝要。継続して使用していただけるよう季節に応じたデザインで入れ替えもする。カメラマンに格安で撮影をお願いし、デザイン、印刷は自前。毎シーズン、会社のプリンター、パウチ機はフル稼働になる。
3 年半で“G”の取扱店は約 240 店。その間にイングリッシュパブチェーンとの素敵な出逢いがあり、同チェーンのオリジナルビールをボクらが提供することになった。それでもまだ売上規模は知れているからコストはかけられない。3 人でえっちらおっちら物を運んだり、
生ビールディスペンサーの設置や撤去もできる限り自分たちでやっている。
最近はおかげさまで出荷が伸び、空樽が足りなくなりそうになる事態も起こる。先に言ったように、唯一の有形資産の樽をいかに効率良く使うかは経営上の重要なポイント。
追加して購入すれば余裕を持って回せるかもしれないが、資金は限られている。だから、慌てて車で集めて回ったりする。
若い頃にイメージしていた“ヤングエグゼクティブ”みたいな仕事とはずいぶん違う。 “マーケティング戦略部長”なんて名刺を作ってみても、実際の仕事内容は、グラスや樽の運搬だったりする。
それでもだ、
素敵なお店に巡り逢うのが楽しい。
東京のど真ん中でも季節を感じるのが楽しい。
人に巡り逢うのが楽しい。
友人や家族が応援してくれるのが嬉しい。
ブログをやっていて、何が面白かったって、料理の接写。(笑)
従来のビールはすっきりさっぱりして、食事中に次の一口のために口内の脂分を流す役割。
だけど“G”はワインのように、料理の味にビールの味を重ねて、お互いを引き立て合う楽しみができる。 だからマリアージュなんて洒落た言葉を頻繁に使っている。
だけど“G”はワインのように、料理の味にビールの味を重ねて、お互いを引き立て合う楽しみができる。 だからマリアージュなんて洒落た言葉を頻繁に使っている。
さて、こんなに“G”に想い入れをしてますよ、と言ってみたが、
おいしいビールを提供するにはボクらだけの力では及ばないところが実は大きい。
お店までは届けることができても、お客さんの口元までは運べないから。
最後の最後の数メートルはお店の人に託そうじゃないか。
おいしいビールを提供するにはボクらだけの力では及ばないところが実は大きい。
お店までは届けることができても、お客さんの口元までは運べないから。
最後の最後の数メートルはお店の人に託そうじゃないか。
だから、ボクらは街へ出る。
バーテンダー、ソムリエ、フロアスタッフの方々に会いに行く。
バーテンダー、ソムリエ、フロアスタッフの方々に会いに行く。
“G”は、お客様の前で花のように咲いているだろうか。
“G”のストーリーはまだまだ続く。実はこれからが面白い。
でも、みねバンと“G”の公私混同ブログはこれで終了。
一年と3ヶ月半。
お読みいただいた方、コメントいただいた方、
実際に取扱店へ足を運んで召し上がっていただいた方、
本当に本当にありがとうございました。
ああ、これで終わっちゃいますね。
今度は“街”でお会いしましょう。
*************************
以上、2006年7月時点の内容です。
2015年4月6日月曜日
Come back to GARGERY
昨年、大手ビールメーカーを早期退職することに決め、この半年ほどは充電期間として、東京マラソンを走ったり、バンドのライブをやったり、写真のことを学んだり、これまでなかなか手をつけられなかったことをやってきた。そして3月末で26年間お世話になった会社を正式に退社。
そして4月。もちろん、数ヶ月前には決めていたことだが、ボクが選んだ道は、自分が創り出したビールと、もう一度命運を共にするということだ。
この写真は、「マーケティング戦略部長日記」というタイトルでブログを書いていた時の、最後の投稿に使った写真。2002年から2007年まで、ボクの人生のストーリーはこのビールと共にあった。
2001年に会社の公募制度で、新しいビール事業の企画という役割を得て、2002年に会社を設立し、自ら事業運営に携わった。その会社で送り出した商品が、料飲店専用のプレミアムビール「GARGERY」。自社工場を持たずに小規模醸造所に製造委託をし、受注分だけを毎日樽詰め、その日のうちに飲食店へ直接出荷する約束、オリジナルグラス「リュトン(角杯)」をアイコンにしたブランド展開等、クラフトビールというカテゴリーが注目を浴びるようになった今でも、日本では他に類を見ない、強いコンセプトを持ったビール。
2002年から5年間、このコンセプトに共感いただけた飲食店を一店ずつ増やし、東京の飲食業界では知る人ぞ知る存在に育ちつつあった。しかしながら、2007年、親会社の資本を離れることになった。その理由の詳細には触れないが、大手ビール会社のグループの一員としてはボリュームが小さ過ぎたのだろう。ボクは親会社に戻ることになった。
それから7年間、全く違う仕事に就いてきた。それはそれで楽しく仕事をしてきたが、GARGERYのことはずっと気になっていた。自分の子供がどうしているのか、心配する親のように。
そして今、自分も48歳。父が亡くなった年齢まであと3年。大リーグから広島東洋カープに戻った黒田投手の気持ちがよくわかる。1球1球に自分が持てる全ての力と、魂を込められることをやるべきだ。
機会は来た。
自分のストーリーは自分でつくる。
新しいストーリーは、再び GARGERY と共に。
そして4月。もちろん、数ヶ月前には決めていたことだが、ボクが選んだ道は、自分が創り出したビールと、もう一度命運を共にするということだ。
GARGERY
この写真は、「マーケティング戦略部長日記」というタイトルでブログを書いていた時の、最後の投稿に使った写真。2002年から2007年まで、ボクの人生のストーリーはこのビールと共にあった。
2001年に会社の公募制度で、新しいビール事業の企画という役割を得て、2002年に会社を設立し、自ら事業運営に携わった。その会社で送り出した商品が、料飲店専用のプレミアムビール「GARGERY」。自社工場を持たずに小規模醸造所に製造委託をし、受注分だけを毎日樽詰め、その日のうちに飲食店へ直接出荷する約束、オリジナルグラス「リュトン(角杯)」をアイコンにしたブランド展開等、クラフトビールというカテゴリーが注目を浴びるようになった今でも、日本では他に類を見ない、強いコンセプトを持ったビール。
2002年から5年間、このコンセプトに共感いただけた飲食店を一店ずつ増やし、東京の飲食業界では知る人ぞ知る存在に育ちつつあった。しかしながら、2007年、親会社の資本を離れることになった。その理由の詳細には触れないが、大手ビール会社のグループの一員としてはボリュームが小さ過ぎたのだろう。ボクは親会社に戻ることになった。
それから7年間、全く違う仕事に就いてきた。それはそれで楽しく仕事をしてきたが、GARGERYのことはずっと気になっていた。自分の子供がどうしているのか、心配する親のように。
そして今、自分も48歳。父が亡くなった年齢まであと3年。大リーグから広島東洋カープに戻った黒田投手の気持ちがよくわかる。1球1球に自分が持てる全ての力と、魂を込められることをやるべきだ。
機会は来た。
自分のストーリーは自分でつくる。
新しいストーリーは、再び GARGERY と共に。
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