そして4月。もちろん、数ヶ月前には決めていたことだが、ボクが選んだ道は、自分が創り出したビールと、もう一度命運を共にするということだ。
GARGERY
この写真は、「マーケティング戦略部長日記」というタイトルでブログを書いていた時の、最後の投稿に使った写真。2002年から2007年まで、ボクの人生のストーリーはこのビールと共にあった。
2001年に会社の公募制度で、新しいビール事業の企画という役割を得て、2002年に会社を設立し、自ら事業運営に携わった。その会社で送り出した商品が、料飲店専用のプレミアムビール「GARGERY」。自社工場を持たずに小規模醸造所に製造委託をし、受注分だけを毎日樽詰め、その日のうちに飲食店へ直接出荷する約束、オリジナルグラス「リュトン(角杯)」をアイコンにしたブランド展開等、クラフトビールというカテゴリーが注目を浴びるようになった今でも、日本では他に類を見ない、強いコンセプトを持ったビール。
2002年から5年間、このコンセプトに共感いただけた飲食店を一店ずつ増やし、東京の飲食業界では知る人ぞ知る存在に育ちつつあった。しかしながら、2007年、親会社の資本を離れることになった。その理由の詳細には触れないが、大手ビール会社のグループの一員としてはボリュームが小さ過ぎたのだろう。ボクは親会社に戻ることになった。
それから7年間、全く違う仕事に就いてきた。それはそれで楽しく仕事をしてきたが、GARGERYのことはずっと気になっていた。自分の子供がどうしているのか、心配する親のように。
そして今、自分も48歳。父が亡くなった年齢まであと3年。大リーグから広島東洋カープに戻った黒田投手の気持ちがよくわかる。1球1球に自分が持てる全ての力と、魂を込められることをやるべきだ。
機会は来た。
自分のストーリーは自分でつくる。
新しいストーリーは、再び GARGERY と共に。
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