2014年10月16日木曜日

25年間に乾杯

2014年10月10日が最終出社だった。正確にはまだ退職ではなく、しばらくの間の退職準備休暇を経てから、四半世紀の間、世話になったこのビール会社を正式に退職する。
大学卒業後、1980代終盤に入社、実家が酒屋ということもあり、ビール業界のマーケティングには興味があった。アサヒスーパードライの発売で競争が激しくなっていたこともあり、多いに暴れてやろうと意気揚々、最初の配属地である大阪へ赴いた覚えがある。
大阪では営業企画部門で販売促進イベントやキャンペーンの仕事を4年間、そして 次の4年半は営業に出て量販店や百貨店を担当。大阪の後は岐阜へ異動になり、業務用酒販店、温泉旅館、ホテル、ゴルフ場、スキー場などを回って、樽生ビール開拓の毎日だった。
岐阜で4年が過ぎたとき、“新しいビジネススキームによる新しいブランドのビール事業を企画する”という業務の社内公募に合格し本社に配属、その翌年に新会社を設立し、業務用専用のプレミアムビール「G」を発売した。この会社は数年後に親会社の資本を離れ、自分は母体に戻ったが、「G」は10年以上経った今でもBarやレストランで着実に広がり続けていることが誇らしい。
ここから急に海外事業畑に投げ込まれ、持ち株会社で、海外の食品会社のM&Aに携わった。仕事のパートナーも、投資銀行や弁護士事務所などと様変わりした。月の残業が200時間を超えるときもあった激務を経験した後、現地駐在員として海外赴任が2年間。買収した会社と母体の海外飲料事業とのシナジーを探る役割だった。
日本に戻り、国内ビール事業の海外展開を推進する担当として、日本ブランドビールの海外展開をを本格的にスタートさせ、ヨーロッパ、アメリカ、中国、東南アジア 各国での事業展開に携わった。
そして最後の1年はノンアルコール飲料事業のマーケティング部門で、新商品開発と新規事業開発を同時並行で進めるような仕事をした。
それぞれ簡単に書いたが、実に多様なビジネス経験をさせてもらった。その間には、気持ちが折れそうになるようなことも何度かあったけれど、振り返れば、人々の、おいしい、うれしい、楽しい を提供する仕事ができたのは、本当に幸せなことだ。この会社と、ここで一緒に働いた仲間たちに深く深く感謝したいと思う。
ありがとう、そして、25年間に乾杯。

海外事業に携わっている頃、本社から見た夕焼け。

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