2017年1月1日日曜日

本拠地で新年の誓いを

プロフィールにも書いているが、ボクの実家は原宿の酒屋です。原宿で生まれ育ったという言い方は、原宿駅か千駄ケ谷駅か、どちらかと言えば千駄ヶ谷駅に近いという点で、やや盛った感じはあるものの、住所は神宮前なので、原宿だと言う資格は十分あると思っているわけ。初詣と言えば、一番近い小さな神社よりは明治神宮だった訳で、ここに来ないと正月が来た気がしないというのは本当のこと。


元日の午後早く、初詣に行ってきた。天気に恵まれた元日の昼間だけにかなり混んでいるかと思っていたけれど、警察の皆様の熟練した誘導のおかげで、もちろん待ちはしたが、小一時間ってところで、比較的スムーズに参拝することができた。


さて、その後は、明治神宮を出て、原宿から渋谷に向かうファイアーストリート方面へ。右に東京都体育館を見て、左に旧キリンビール本社ビルを見る。今は何やら医療法人が入っている様子。もともとボクが平成元年に大学新卒としてこの会社に入社を決めた理由の一つとして、本社が地元、ということもあったと思う。そういう意味では、昨年、ボクが同社を退職したのと、その少し前に同社の本社が原宿から中野に移転したというのは、因縁なんだろうと思う。


さらに前に進むと、三叉路の向こう側に岸体育館。ここはボクが小学生の時に体操教室に通っていた場所。跳び箱が得意だったな。


ここを超えて、さらに100mくらい進み、消防署まではいかないところにあるビルの6階、そこが目的地。たいていの飲食店やバーは大晦日や元日はお休みの中、元日の14時からオープンしているバーがある。Bar Rocaille(バーロカイユ)はコンパクトなオーセンティックバー。ここでガージェリー23が飲めるのだ。スーツ姿が素敵なバーテンダーさんがにこやかに迎えてくれる。


実は昨年の元日もここに来た。明治神宮から徒歩5分だもの。そりゃ来ちゃう。どうも初詣はこのコースが定着しそうな予感。

みなさま、明けましておめでとうございます。思いついた時にアップする程度のブログですが、何とぞ、今年もよろしくお願いいたします。みなさまにとって今年が素敵な一年になりますように。




2016年12月12日月曜日

ブランドの存在価値、約束は守る

2002年12月12日、この投稿を書いているちょうど14年前になる。その5ヶ月前にキリンビール社内でやっとのことで決裁をもらい会社を設立したボクら、株式会社ビアスタイル21の事業開始当初の唯一の商品、樽詰ビールのガージェリー・スタウトが取扱いの飲食店で初めてサーヴされた。(ビアスタイル21とキリンビールとの資本関係は2007年に解消)
そのお店は、代官山のシンポジオンというフレンチレストランだった。日本人オーナーシェフとして初めてミシュラン1つ星を獲得した平松宏之さんが経営するお店での取り扱い決定に、とても勇気づけられた覚えがある。

なんと言ってもスタウトビールだ。日本ではスタウトと言えば、ギネスと、アサヒとキリンが出している小瓶のスタウトがビール好きになんとか知られているくらいで、普通ではビールって言えば、スーパードライかラガーかっていう中で、「GARGERY」なんて何て読むのかもわからないようなブランド名と共に販売する10リッター樽だけの濃厚な黒ビールである。樽詰ビールだからディスペンサーの設置も必要で、開栓したら10リッターを数日以内に売り切ってもらわなければならない。しかもそれを、ビールをバンバン売っているようなビアパブや居酒屋ではなく、ワインやカクテルをメインにしているような、お洒落なハイエンドレストランやオーセンティックバーに的を絞って案内していた訳で、それはそれはハードルが高かった。

ただ、唯一の救いは、最初は「黒ビール??」っていうネガティブな反応をしていた人たちが、リュトングラスを見ると「おっ」と惹きつけられ、さらに試飲すると、「ビールサーバー、置けるかなぁ」なんて、途端に前向きになるという、圧倒的な商品の魅力。前向きに検討してもらった上で、前出のハードルが立ちふさがることになる。

そんな中で、最初に取扱いを開始いただいたのは、代官山「シンポジオン」、赤坂「燻」、銀座「煙事」、青山「スパイラルカフェ」、麻布十番「ザ・トウキョウレストラン」、ホテルオークラ「ハイランダー」などのそうそうたる顔ぶれだった。(この中で現存し、かつガージェリーの取り扱いを継続いただいているのは、燻、煙事、ハイランダー)今思えば、よくやったなという感じだ。


以降、社員4名、最大5名になり、キリンを離れてからは、しばらく2名、そして今は3名という体制で、とにかく飲食店へガージェリーを紹介する営業活動を黙々と続けて14年が経過。商品は樽詰が2種になり、2009年から瓶商品を順次3種発売して合計5種類になった。14年で5種類っていうのは他の大小ビール会社と比べて極端に少ないものだと思う。新商品で売るのではなく、ただただ定番をコツコツと足で広げたのだ。現在、取扱店は全国で1,000店を超えるまでなった。

話は最初に戻るが、代官山にはちょっとした因縁を感じる。というのも、ガージェリーの母体だったキリンが昨年、代官山にスプリングバレーブルワリーを開業したからだ。スプリングバレーブルワリーというのはもともとキリンビールの前身となる日本初のビール醸造所の名前。だから、ガージェリーを創業してまもない頃は、そのスプリングバレーを引き合いに出して、こんな記事を書いていただいたこともあった。<http://www.b-shoku.jp/tokushu/projectb/12/(2005年当時の記事)>

その元母体は、代官山だけでなく、国内最大手クラフトのヤッホーや、アメリカのブルックリンに資本を入れて、いろいろ本腰を入れてきているようだ。14年前にはとても考えられなかったよなぁ。

さて、そんなわけで、短いようで色々あった14年だった。ボク自身も途中7年半、ガージェリーから離れていた。しかし、世の中、とりわけビール市場がいかに変わったとしても、確固として変わっていないことがある。それはガージェリーの味、デザイン、そして飲食店限定ビールであるということだ。飲食店限定と銘打っておきながらいつのまにかコンビニエンスストアの棚に並んでいたっていう商品はいくらでもある。14年間、飲食店限定を貫いている商品はそうないだろう。飲食店限定を守ることが良い悪いという話ではない。飲食店以外でも飲みたいというお客様の要望に応えるという考え方も当然あり得る。それは、それぞれの生き方の問題だ。

ただ、約束を守る、ということが、ブランドの存在価値だということは忘れてはいけない。

「ブランド」という言葉の本来の意味を考えてみれば、明白なことだ。

ガージェリーは14年間守ってきた約束を、さらにずっと守り続ける。



2016年11月8日火曜日

偶然は必然

少し前の秋田への出張で、お得意先のバーへ飲みに行ったとき、本当に偶然、その日のお昼にインターネットでガージェリーを初めて知って、取扱店を調べて飲みに来たという人がいらっしゃった。その方がガージェリーを飲みつつバーテンダーさんと話しているまさしくその時、ガージェリーの会社の人間、つまりボクがどんぴしゃで入って来たので鳥肌ものの驚き。

バーカウンターでしばしガージェリーの生い立ちや目指していることについてお話しさせていただいた。その方は実は秋田の日本酒の蔵元に勤めていらっしゃり、是非自社の酒も飲んでみてほしいと、数日後、東京の弊社事務所へお酒を送ってくれた。

実はその方は日本酒業界のニューリーダー的な存在の蔵元の製造部門の方で、送っていただいたお酒も見るからに素敵。ありがたく頂戴いたします。事務所では飲めないので社長と分け合い持って帰ります。造り手の情熱をしっかり受け止めよう。偶然は偶然じゃなくて、必然なのだろう。



2016年10月29日土曜日

コクサイカのあり方

〝グローバル〟なんていうと大げさな感じがするので、少し古くて控えめな感じのする〝国際化〟という言葉にしておこうか。昨今はこの言葉から思い浮かぶ景色が変わってきたと思う。



自分が経験してきたビールに関わる仕事で言えばこんな感じ。

1990年代は、海外の商品の輸入が主流。アメリカやヨーロッパのビールブランドを日本で販売する。バドワイザーやハイネケン、ギネスなんかが代表格だろうか。その中でボクらは海外の会社から諸々勉強させてもらったりした。2000年代は海外の会社を買収して日本の会社が海外の事業のオーナーになった。ボクはオーストラリアの食品会社に出向したが、現地にいて日本側の対応がもどかしくてたまらなかった覚えがある。日本にいる日本人社員がいつまでも国境にこだわったような態度で、コトが遅々として進まなかったからだ。こういう状況は10年くらいかかって、やっと解消されてきたかもしれない。

そのうちにクールジャパンという言葉とともに、今度は日本の商品を文化とともに海外に売り込もうという気運が出てきた。僕は日本に戻り、日本のビールブランドを海外展開する仕事をもらった。2年ほど携わっていたが、日本人的にプライドを持って取り組める、やりがいのある役割だった。



それから少し経ってキリンビールを退社することを決めた時期だが、2014年11月にこのブログでこんなことを書いた。「世界に伝えたい日本のクラフトビール」というイベントに参加して、若い経営者たちの話を聞いての感想だ。

「イベントのタイトルはやや勇み足気味な感じはするものの、それぞれの会社が醸造や販売に関してそれぞれの形で海外とボーダレスにつながっていることが印象的だった。酒類、ビール類の消費量が減ってはいるものの、クラフトビールにとって日本の市場はまだまだ大きい。これまでの感覚なら、日本市場の開拓も途上の小規模な地ビール会社が海外市場にまで手を出すというのは拙速ということになるが、「日本より海外で売る方がやさしい」という言葉も出た。クールジャパンの追い風もあるだろうし、完成度の高い商品は外国でも十二分に魅力的。若い経営者にとって国境はハードルにならず、むしろビジネスチャンスと捉えている。」

クールジャパンと、世界的なクラフトビールブームの流れがあり、大手メーカーのブランドよりもチャンスがありそうだな、と思った。大きな設備投資をしてしまっているのが少し不安な会社もあるが、この流れはしばらく続くんだろうと思う。

さて、最初に言った、景色が変わってきたというのはここから。

日本の商品を海外に売り込むのではなく、日本にある商品・サービスを日本にあるがままに日本で楽しんでもらう、ということが一気に注目を浴びるようになった。わざわざここで書くまでもない様々な事象が起こっている。東京オリンピックの後押しも大きい。海外からの観光客が日本で時間、空間、文化を楽しんでいる。爆買いの中国人もモノより体験を楽しむ人が増えてきているようだ。



日本の飲食店でしか展開していないガージェリーはこれまで国際化という言葉は全く縁遠いと思っていた。キリンビールで海外事業に携わってきた自分だから、当然ガージェリーの海外展開というのは頭に浮かぶわけだが、この際立った商品コンセプトを守りつつっていうのは相当難しい話だし、コンセプトを妥協して海外展開しても意味はないと思っている。そもそも、正直なところ、そういう余裕は毛頭ない。そんな中、日本のガージェリー取扱店に外国人観光客が訪れて、「いったいこのビールはどこのビールだ?すごく美味しい!クールなグラスだ!」と驚いているという話が入って来るようになった。

そうそう、これでいいんだろうな、と思っている。日本の外食をもっと魅力的にしよう。日本に来た外国人をびっくりさせよう。ガージェリーは日本の飲食店でしか飲めないスーパークールなビールってことでいいじゃないか。輸出なんてせんでも良い。日本には愛すべき飲食店がたくさんあって、まだまだボクらはやるべきことが山ほどある。

そう思っている次第。



2016年10月2日日曜日

幸か不幸か花粉か風邪か

木曜日の午後から鼻水がぽたぽた出始め、飲みながら手拭いで拭き拭き。金曜日になると喉が痛み頭がだる重い。でも熱が無いのでこれはきっと秋の花粉症だと。今まではスギ花粉だけだったけれど、いよいよブタ草あたりが来たかと思い、行きつけの耳鼻科へ。



先生に上記症状を話し喉を診ていただくと、あっさり「こりゃ風邪だわ。」

さらに「飲むと悪化します。」と、何かを察したのか釘を刺された。でも、飲むのが仕事をなんで、ってちょっと反抗してみると「どこの会社?」と乗ってくるので、「ガージェリー」って正直に答えました。先生はそのままパソコンでググってガージェリーホームページへ。患者さんがほとんどいなかったからかノリノリで食いついてくださり、しばしビール談義。先生はドイツビール、特に小麦系が好きなんだそうだ。

今度飲みに行ってみるよと、嬉しそうに薬を処方してくれました。

その晩から発熱。やっぱり風邪だった。今後毎シーズン患う花粉症よりはましかな。

2016年8月31日水曜日

大阪で生まれた女はまだ歌っていない

1989年にボクはキリンビールに入社。赴任先は大阪支社だった。最初の4年はマーケティング関係の仕事、後半の4年半はスーパーやデパートを担当する営業を経験した。事務所は大阪の淀屋橋で、最後の1年程は土佐堀の新しいビルに通った。住まいはというと今は無くなってしまったキリンビール尼崎工場敷地内の独身寮、次は阪神大物(だいもつ)駅近くのワンルームマンション、そして西宮の社宅へと移り住んだ。つまり、職場は大阪市内、住まいは兵庫県東部という生活を8年半送ったわけ。西宮の社宅に住んでいた1995年に阪神淡路大震災が起こり、忘れられない時間を過ごした。そんな社会人初期、20代ど真ん中の青春を過ごした関西だったけれど、1997年に転勤をしてからはほとんど訪れる機会がなかった。梅田にヨドバシカメラができたのは知っていたけれど、初めて見たのは去年だったと思う。


20年近くが経過して、昨年後半から毎月関西を訪れるようになった。ガージェリーの営業のため、毎月3泊から4泊程度で飲食店まわりをしているのだ。久しぶりの心斎橋に難波、久しぶりの梅田界隈。戎橋近辺が外国人だらけになり、大阪駅の北側にはヨドバシカメラにグランフロント、そこに古巣のキリンビールが入っている。大きく変わったところもあれば、全然変わっていないように思えるところもある。しみじみ眺めて歩きたいのだけど、正直なところ、この1年はガージェリーの営業で一生懸命だった。とにかく歩いて歩いて飲食店を回った。昼は仕込み中のお店に飛び込み営業をかけて、夜は取扱店を中心に飲んで回る。観光の時間は無かった。それでそろそろ1年が過ぎる。大阪の取扱店は1年前は20店程度だったが、今は50店近く。当初はキタ、ミナミ中心に回っていたけれど、最近は行動範囲も広がり、芦屋、三ノ宮まで足を伸ばすようになった。


三ノ宮へ初めて営業に来て、最初に飛び込んだ店から数日後に注文をもらった。後で知ったのだけれど、そのお店は神戸の外食業界では知らない人はいないような有名な肉ビストロだった。バーを何軒かまわった後の遅い時間に、やっと空いたカウンター席に滑り込ませてもらい、ステーキに食らいついていると、地元神戸の女性がリュトンでガージェリーを飲んでくれている。きっと阪神・淡路大震災が起きた時は小学生くらいだっただろうか、20代後半くらいに見える。嬉しいのだけれど、ちょっと不思議な気持ちになる。


20年離れていた関西だけれど、こうやって動き回っていると、飲食店関係を中心に点が線になり、線が面になってくる。ボクはもうキリンビールの一員では無いが、このブランドと会社の人たちと忘れ得ない思い出を共有しており、実際、今でもあの時の人間関係にも助けられ、ここでガージェリーを広めている。ガージェリーはもともとは、ボクにしても社長にしても、キリンビールでの様々な経験を通して培われた想いから生まれ出てきたものだ。感謝しなければいけないのだ。

まだしばらく大阪から神戸にかけてを頻繁に訪れるだろう。一生懸命仕事をしている。時々、こちらの友人と誘い合わせてガージェリーの取扱店へ飲みに行くことはある。ただ、20年前にカラオケでよく歌っていた「大阪で生まれた女」は、まだ歌っていない。

2016年7月24日日曜日

芥川賞、三年連続です。

ガージェリーのホームページで年に2回程度のペースで更新しているショートストーリー。作家やエッセイストなど、文章を書くことを生業としている方々に、ガージェリーをイメージして短い文章を書いていただく。2004年の絲山秋子さんから始まり12年、32人の方々に執筆いただいた。少ない予算の中で始めたことなので、もうすでに有名になっているような人ではなく、当時はこれから、という方々に声をかけてきたが、一番最近のストーリーは、初めて芥川賞を受賞した後の作家さんにお願いすることができた。2013年に「穴」で受賞された小山田浩子さんだ。お願いしたのは過去にもお声がけした経緯もあったのだけれど、快くお受けいただき本当に嬉しかった。

そして、つい数日前、このストーリー関連で嬉しいことが、またまた起こった。2014年度上半期で芥川賞を受賞された柴崎友香さん、2015年度下半期で受賞された本谷有希子さんに続いて、2016年度上半期で藤田沙耶香さんが「コンビニ人間」で芥川賞を受賞された。なんと3年連続だ。藤田沙耶香さんには2012年にガージェリーショートストーリーを書いていただいている。「悪いことに乾杯」という女性二人の微笑ましい会話を描いているものだ。

ガージェリーのショートストーリーと芥川賞には何の関連もないが、2004年の一番番最初に書いていただいた絲山秋子さんが2年後の2005年下半期で受賞されたことを考えると、この賞に何かのご縁を感じざるを得ない。GARGERYというブランド名は、英国文豪チャールズ・ディケンズの代表作「大いなる遺産(GREAT EXPECTATIONS)」の登場人物からとっているので、そもそも文学との相性は良いし、この企画は主に新人の方々に声をかけてきているので、直木賞より芥川賞であることは必然と言えば必然なのだが、それにしても3年連続とは「やったね」としか言いようがない。そして、藤田さん、おめでとうございます!

もうすぐ発売される「コンビニ人間」を読むのが楽しみだ。