2015年12月31日木曜日

カウントダウンが始まる前に

あっという間の2015年。昨年末の投稿でも書いたが、1冊に10年分を書き込めるこの「10年日記」、2001年から使い始めて15年、2冊目のちょうど半分が終わった。1ページに1日分の3行の欄が10、つまり全部で30行ある。ある1ページの一番上の欄が2001年3月3日とすると、その下が2002年3月3日、さらに下が2003年3月3日と、10年分の同じ日が並んでいる。だから今日を終えると、この1冊の全てのページの上から5欄、15行目までが全部埋まって、5年分の出来事が書き込まれ、下半分が空欄になっている状態。


昨年、秋にキリンビールを退職することを決め、年末は半年の充電期間のちょうど真ん中だった。東京マラソンを走るためのトレーニング、カメラの学校、ギタースクールなど、仕事をしているとなかなか時間を取れないようなことをやっていた。

3月末で正式にキリンビールを退社、4月から株式会社ビアスタイル21に復帰。

最初の3ヶ月程度は、ただひたすらガージェリーを取り扱っていただいているお店を回った。自分がこの事業から離れていた7年半の空白を埋めるためだ。その中で今のガージェリーに必要なことを感じとり企てをした。夏からそれを実行。ホームページやfacebookページに手を入れた。同時に自分が社会人になった思い出の地である大阪へも足を運び営業をかけ始めた。

4月から9ケ月間、ずいぶん多くの人に会ったが、まだまだこれから。ガージェリーの新しいステップも加速を始めている。やるべきことが既に始まっていて、これからが本番。つまり、この年越しは全くの通過点という感じ強い。特別な思い入れはない。

実は今49歳で、来年春に50歳の誕生日を迎える。そういう意味では40代最後の年末であり、正月なのだけれど。これも特別な感慨はないな。それより、こうやって10年日記の空欄を埋めていっていると、自分の人生の残り時間がどんどんなくなっているという思いが強くなっている。この一冊を書き切ることはできるだろうか。次の一冊あたりで終わってしまうのではないか、とか。

ちゃんと生きなきゃ。

やりたいことをきちんとやる。思い切ってやる。

このブログを読んでいただいている方が、どなたなのかはわかりませんが、今年も一年、ありがとうございました。来年が健やかで充実した年になるよう、心からお祈りいたします。

2015年12月13日日曜日

ブランドをつくること、存在している意味を確認すること

2002年の事業開始以来、ガージェリーが発売したビールは、樽が2種類、瓶は3種類、合計5種類だけ。しかも、飲食店だけにしか販売しない。飲んでもらうには、飲食店へ行っていただくしかない。

樽はガージェリー・スタウトとガージェリー・エステラ。
スタウトは100日以上、エステラは60日以上かけて発酵・熟成させ、飲食店から注文をいただいた分だけ樽に詰め、翌日には冷蔵便でお店に届ける。


瓶はガージェリー23(トゥースリー)BLACK、Xale(エックスエール)、Wheatの3種。
主発酵が終わった段階で瓶詰し、60日以上の冷蔵保管の後に出荷。1ヶ月、2ヶ月、そして1年、2年と時を重ねるにつれ刻々と変化する香味を楽しめる瓶内熟成ビール。


「味の評判もいいし、デザインもカッコ良い、せっかくのクラフトビールブームなんだし、問屋さんや酒屋さんに卸したり、ネット通販なんかで販路を広げれば一気に倍々で売れるんじゃないの?」「スタウトとエステラ以外の限定樽詰ビールとかは出さないの?」

そんなことを聞かれることが多い。

まあ、そもそもそうする余裕もないのだが、やることが得策だとも思っていない。ビジネスとして売上は上げていかなければならない。利益を上げれなければ成り立たない。それが前提だけれども、短期的に大きな売上や利益を上げることよりも大事なのは「続けられること」と「存在価値を高めること」。言い換えれば「ブランドをつくること」だ。

金儲けのためだけに仕事をしているわけではない。誰かに何かを貢献したい。自分が生きている意味を見出したい。そういうことだってあるはず。自分なりの物語があるのか、それが大切。

大手ビール会社から中規模・小規模の地ビール・クラフトビール会社まで、同じライン上で売上を競っているわけではない。大手はシェア争いに意味をもたせざるを得ない面もあるだろうが、それでもそれぞれの存在する意味は、それぞれ胸の中で独自のものを持っているはず。持っていなければならない。

ガージェリーは、人々が生活の中で外飲みをする時間の価値、物性的には醸造所を出てから飲む瞬間までのコンディションということに軸足を置き、飲食店で働く人たちと手を携えて生きていきたい、そういう自分たちのストーリーをつくっていきたいということに意味を見出している。そういうブランドなのだ。だから、やることの優先順位ははっきりしている。


ただ、やるべきことをやっていたとしても、ブランドをつくるには時間がかかる。お客様やパートナーとの信頼関係が必要だから。腰をかがめて我慢する時間が必要だ。いたずらに量を求めてあれこれ背伸びをすると、ブランドではなく単なる"商品群"ができる。あとは前年比とのいたちごっこ。そうしてダメになった商品を数知れず見てきた。

ガージェリーが生まれて13年。まだ13年と言った方がいいだろう。

幸い、今のところガージェリーの状況は悪くない。しかし悪循環にはまる罠は知らない間に足元に忍び寄る。そういうことにならないように腰をしっかり落としておきたい。人類の長い歴史の中で、たまたま同じ時代、同じ時間を生きている愛すべき人たちと、ストーリーを共有しながら育てたい。そして、次の世代にがっちり手渡したい。

ガージェリーを。

2015年11月25日水曜日

つながりに出逢うために歩いている。

鋭意営業を続けている。

最近は飲食店からの問い合わせが増えてきたとは言え、まだまだ知名度は無いに等しい。何しろ飲食店でしか飲めないビールで、しかもそれなりに敷居の高いお店が多い。ここ数年、雑誌などでクラフトビールの特集が組まれることが多くなったけれど、その手の記事にはほとんど取り上げれられることはない。なぜなら多くのクラフトビールが売られている場所にガージェリーは無いから、取材の網に引っかからない。

ビジネスとしてはまだまだヨチヨチなので、売り上げはもっと伸ばしていかねばならない。だから鋭意営業を続けている。

3人の会社で365日営業を謳っているので、誰かが必ず事務所で受注業務をしなければならないが、それ以外の業務はなるべく外に向けるようにしている。つまり自分たちの足で得意先を開拓していかなければならない。

クラフトビールの認知が上がってきているおかげで数年前に比べると興味を持ってくれる人が増えてきたとはいえ、大手のブランドが当たり前の中、飲食店を訪ねると、この知名度の無い商品に、過半の人は興味なく「うちはビールは決まっているから」とか「これ以上ビールはいらないので」というのが最初の反応。

その最初の壁を越えることが、営業上の一番のポイントだと思っている。興味を持っていただき、前向きに検討してもらえる状況になると、かなり力のある商品だからだ。

だから、人からの紹介というのはとても有り難い。いきなり訪ねてきて商品の案内をされるよりも、自分の知人が「これ面白いよ」と奨めてくれるのでは第一印象が違って、その後の判断に影響するというのは否定できない。実際に自分たちの経験でも取り扱いに至る確率は格段に違っている。

また、13年もやっていると、以前に働いていたお店でガージェリーを扱っていたとか、どこかで飲んだことがあるとか、営業で初訪問した際にそういう話になることも多くなってきた。それもとても心強い状況だ。その人がまた別のお店を紹介してくれたり。

とはいえ、紹介いただいたり、一度縁が切れた方々に再会するためには、やはり自分の足を動かさなければ。それを積み上げてきたから今があるわけで。

毎日毎日よく歩いている。

人とのつながりに出逢うことが目的のような気もする。

それが良い。

それがガージェリーなのだと思う。


この秋、取り扱いを始めていただいた芦屋のバーで、お店を紹介いただいた知人と乾杯。










2015年11月10日火曜日

60年の5分の1

先日、正田商事60周年記念イベントに参加してきた。正田商事と言うより「バーイリエ」と言う方が通りがいい。バーテンダーの間では特に知られていると思う。


60年前に渋谷道玄坂で「バーいりえ」としてスタートし、現在も「BAR IRIE」「Shot Bar Cheers」「LE STEAK」を同じ渋谷道玄坂で展開。1950年代半ばから2015年の今まで、ダイナミックに変貌してきた渋谷の街でずっとずっと酒場を営んできたって、すごいことだ。

自分も実家が渋谷区の酒屋なので、この地で長く商売をやっておられる方には何か通じるものがあるように感じる。



そしてガージェリーとのお付き合いも「Shot Bar Cheers」でスタウトを始めていただいてもうすぐ丸12年。



60年には遠く及ばないけれど、もう干支が一周したんだなと思うと感じるものがある。



パーティ会場には、12年前にボクが営業に来たとき「Cheers」にガージェリーを導入して下さった当時のバーテンダーの顔も。現在は、ご自分のバー、池尻大橋の「Bar VISTA」でもガージェリーをお客様に奨めていただいている。

ありがたいことだ。


ほんと、多くの人に支えられて今がある。

だから、自分もガージェリーも精一杯、愛すべき酒場やレストランの人たちを応援したいと思う。

2015年10月27日火曜日

撮りたいものはビールではない

大手メーカーにいた時、商品の写真を撮るのに相当の労力をかけているのを見てきた。特に、グラスやジョッキに注がれたビールの写真は、いかに泡を綺麗に見せるか、きめ細かい泡になっているか、ビールと泡の割合は適当か、グラスに何かが映り込んでいないか、などについて高度な技を駆使する達人カメラマンが撮影する。最近はデジタルカメラになり、画像の後処理ができるようになったので、ずいぶん楽になったのかもしれないが。

ガージェリーをやっている今、プロのカメラマンにお願いして撮影する予算的余裕はないし、飲食店限定というビールである以上、様々なお店で写真を撮る必要があり、ブログなんかで使う写真は営業で訪問する度に撮りだめていかなければ間に合わないから、自分がカメラマンになるしかない。

お店では、営業中に飲みながら撮らせてもらうことがほとんどなので、様々な制約がある。自分が座る席から店内はどう見えるか、光の状況はどうか、他のお客様がどこに座っているか、ビールの状態はどうかなど、まずパーフェクトな環境は望めない。

だけど、だからこそ、撮れる何かがあると思っている。


お客さんを入れて営業をしているお店のその時間、その空間にしかないものがあるように思う。

また、被写体が綺麗に整ったものでないからこそ、何かが伝わるということもある。

台座に置いたリュトンが真っ直ぐに立たず微妙に傾いていたり、ビールの泡が不均一だったり、泡が消えてきたので、一口ふた口飲んでしまい、飲みかけを敢えて撮ることもよくある。

実は、飲みかけの写真の方が好きだ。



時間を感じ、空間を感じ、ストーリーを感じる。

そんな写真を撮る。撮りたい。撮れれば。


しかし、ガージェリーほどの被写体はなかなか無いね。

2015年10月19日月曜日

ベッショのジレンマ

残暑がないまま音も立てずにすっと夏が終わった。前回の投稿で「秋の夜長」って書いているし、今さら何言ってんのという感じではあるが、ボクの中の一部でまだ夏が終わっていない部分があったのだろう。衣替えをしていなかったとも言えるが。夜は気温が下がっているにも関わらず薄着で過ごしていたら、2週間前の大阪出張の途中から風邪を引いてしまった。

それからしっかり休むことなく、毎日そこそこ仕事をしたり飲んだりしていたものだから、未だに完治しない。なんとなくだるくて咳が残っている。周りには同様に咳をしている人が目立つ。みなさんも気をつけてください。

そんなわけで、話はこの風邪につかまった頃にさかのぼるのだが、出張先の大阪で中学高校時代の友人と久しぶりに会い、飲んだ。高校を卒業して以降、会った覚えがないから実に30年ぶりということだろう。これもfacebookのおかげ。


その友人は最近本を書いた。あの『イノベーションのジレンマ』のクレイトン・クリステンセン氏お墨付き。というのも、そのはず。彼は同書の日本語訳本の監修をしているのだ。クリステンセン氏の理論を起点にして、多くのわかりやすい事例を織り込みながら持論を展開し、日本の企業に指針を示す。

『日本のイノベーションのジレンマ』(玉田俊平太 著/翔泳社)

個人的には彼が30年前に学校であれやこれやとしゃべっていた語り口がそのまま本になったように感じて、読んでいてつい笑みがこぼれたが、彼の持ち味は読み手を楽しく引き込みながら理解させる日本語力だろう。クリステンセン氏の訳本の評判が良いのもうなずける。



お店は大阪は福島の「大阪モノラル」。二人でガージェリー・スタウトをしこたま飲んだ。ハーバード在学中にクラフトビールはずいぶん飲んだようだが、「こりゃ、うまい」とお褒めいただき光栄。自家製の燻製料理とスタウトの相性も抜群。

そして、お店のメニューと一緒に出てきたのがこのイラスト。お店のオーナーの奥様が描いたそうだが、なんとも素敵。(それ以上に奥様ご本人が素敵だが。)ビールへの愛情を感じます。メニューブックの中やお店の中にも彼女の作品がちりばめられているので、是非見逃さないでいただきたい。


いやはや、30年来の友人と、素敵なお店の人に挟まれて、どちらにも気持ちを奪われるような、楽しい晩でした。


↓『日本のイノベーションのジレンマ』(玉田俊平太 著・翔泳社)

2015年9月30日水曜日

秋の夜長にひとり想う


大学を卒業してから26年間勤めたキリンビールを退職して今日でちょうど半年。つまり、ビアスタイル21社に復帰してちょうど半年。この6ヶ月はどうだったろう。正直言うとあっけないほど自然に過ぎた感じがしている。それはそもそも自分が立ち上げに関わった会社だから?この会社を一旦離れた8年前と事務所が全く同じだったから?

とは言っても、8年前のビアスタイル21社はまだキリンの社内ベンチャーから発生した完全子会社だったわけで、当時はまだ大企業に所属していながらの、失敗しても戻る場所はどこかしらあるという、ある意味守られた立場だった。しかし今回は違う。ビアスタイル21社はキリンの資本を離れていて、GARGERYの行方と自分の行方は全くリンクしている。

リスク?そういう言い方もあるかもしれないが、それは全く気にならない。まあ、あの時に比べれば歳をとって、残された時間が減っているという理由だけでも、人生の先行きはある意味見通しやすくなっていると言える。ただそういうことではなく、多分、価値観が変わったんだろうと思う。30代の頃はビジネスマンとしての成功だとか、社内での出世だとか、そういうことが人生の成功なんだという、必ずしもそうではないということはわかっていても、ある程度は囚われていた。

今は確実に違う。この時間に何をするか、好きなことをしているか。誰と一緒にいるか、一緒にいたい人といるのか。自分のいたい場所に、自分の意志でいるのか。自分の手で、足で、言葉で、世界と接しているか。そういうことこそ大事で、喜びを感じているから、リスクを取った、なんていう感覚は全くないわけ。

そんな風に8年前と何か根本的なものが変わった自分がいるわけだけど、全く変わらないものがある。

それは、自分が生みだしたブランド、GARGERYへの愛情。

考えてみれば、8年前にビアスタイル21社を離れ、キリンビールで全然別の仕事をしていた時も、GARGERYがどうなっているか常に気になっていたし、街で見かければ自分の子供のように誇らしく、愛おしく思っていた。

だから、戻ってきて何の違和感もないんだろう。

どっしり、ボクの心の中にGARGERYが座っている。


これは死ぬまで変わらんだろうね。