2014年12月4日木曜日

十数年ぶりの杯の向こうに見つけたこと

もうすぐ退職しようとしている会社で 以前お世話になった人に会いたかった。感傷的な要素はあまりなく、単純に今どうしているか、会って話をしたい。25年前に入社した時に一緒に時間を過ごした人たち。それから17年前にサラリーマンとして腐りそうになったときに気持ちを入れ替え前向きになるエネルギーをくれた人。前者は大阪の同世代の社員。後者は飛騨高山の同世代の酒屋さん。

それで今週の月曜、羽田から伊丹へ飛び、キタでミナミで合わせて5軒、飲んで回り、翌日には電車とバスを乗り継いで雪のちらつく飛騨高山へ移動し、懐かしい居酒屋でひとり飲み、酒屋さんと合流してふたりサシ飲み。先日の北海道もそうだが、慌ただしい旅は「飲みたい人と飲む」ため。




十数年ぶりという人に何人か会ったけども、ほとんど変わっていなかったのが嬉しかった。でも、この十数年に何があったかを話せば、そりゃ、それぞれいろいろあった。時代が環境が変わる中で、みんな何か想いを持って自分なりの選択をしてきている。だから十数年前と変わらないようで、実はそれぞれ向きを変えて進んでいる。

そう、みんな、選択をしてきている。

それを確認できた2日間だった。

2014年11月28日金曜日

幻影の醸造所?

11月24日のクラフトビールのイベントに行った際に引っかかったのが「ファントム ブルワリー」という言葉。そもそも「クラフトビール」という言葉もいつ出てきたのかわからない程この辺のことに疎くなっていた僕には、「ファントム(幻影)」と聞いても戦闘機しか思い出せない。話を聞いているとどうやら委託醸造ということのようだが、クラフトビール会社の当人の中にも「ファントム」と言われて、まだ馴染めない様子の方がいた。

僕が「G」に関わっていた2002年から2007年頃は、単に委託醸造/コントラクト ブリューと言っていたわけだけど、そのお手本は1980年代から90年代にかけてアメリカで大きく成長したボストン ビア カンパニーだった。 ビール工場に対する設備投資をしない分、マーケティング投資をしてブランドを確立した。どちらかというとビジネスモデル寄りの観念。

これに対して、僕がネットで見て回って理解した「ファントム ブルワリー」のイメージはこうだ。ある醸造家もしくはブランドが、自前の醸造所ではなく他人の醸造所で、その醸造所の特性を活かし、またはその醸造所とコラボしながら、個性的なビールを作っていく。ビジネスモデルではなく、作り手寄りの商品説明的な発想なんだと思う。 「委託」よりも「ファントム」の方が響きがカッコいいしね。

ワインのうんちくの世界にぐっと寄ってきた感じがしますな。
ちょっとキャッチアップしないと。





2014年11月27日木曜日

クラフトビールの可能性

11月24日、日本ビアジャーナリスト協会主催の「世界に伝えたい日本のクラフトビール」というイベントに参加してきた。同協会長の藤原ヒロユキさんが聞き手となり4名のクラフトビールビジネスの経営者が語るという形式。

4名というのはコエドビールの朝霧さん、横浜ベイブルーイングの鈴木さん、Rioブルーイングの菅原さんと日本クラフトビールの山田さん。


コエドはクラフトビール界では“大手”、『COEDO』ビールは今や広くコンビニやスーパーでも買えるメジャーなブランド。横浜ベイは横浜関内の小規模醸造設備併設パブ。Rioブルーイングは国内でベルギービアカフェを展開するM'sKitchen社が自社ブランドビールの委託醸造を始めたもの。日本クラフトビールは『馨和 KAGUA』ビールをベルギーで委託醸造している。

イベントのタイトルはやや勇み足気味な感じはするものの、それぞれの会社が醸造や販売に関してそれぞれの形で海外とボーダレスにつながっていることが印象的だった。酒類、ビール類の消費量が減ってはいるものの、クラフトビールにとって日本の市場はまだまだ大きい。これまでの感覚なら、日本市場の開拓も途上の小規模な地ビール会社が海外市場にまで手を出すというのは拙速ということになるが、「日本より海外で売る方がやさしい」という言葉も出た。クールジャパンの追い風もあるだろうし、完成度の高い商品は外国でも十二分に魅力的。若い経営者にとって国境はハードルにならず、むしろビジネスチャンスと捉えている。

面白いことになってきたなと、思った次第。


<おすすめ書籍>
ブランドのはじめかた
コエドビールが“地ビール”からプレミアムクラフトビール『COEDO』に生まれ変わった経緯は示唆に富む。

2014年11月14日金曜日

北へ飛んだ理由

11月11日から一泊二日で北海道紋別郡遠軽町のバー、Quand Doux Panacheを訪ねた。羽田から女満別空港へ飛び、そこから車で一時間半、北の果てというイメージもあったが、行く気になれば案外近いんだなというのが率直な感想。

店主とは、僕が「G」をやっていた時にブログを 通じて知り合った。「G」の非公式ブログ、つまりこのブログの仮タイトルの元になってる「マーケティング戦略部長日記」のことなのだけど、登録していたブログランキングサイトで 店主のブログと上位を競い合ったりしていたので、お互いに興味を持っていたし、コメントで交流もしていた。店主のハンドルネームはBOSS

そのBOSSが2007年に東京を訪問された際に、銀座煙事にお誘いして「G」を飲んでいただく機会があった。こちらとしては、「G」に興味を持っていただき飲んでくれたことが嬉しかったし、BOSSのバーにも、遠軽という町にも興味があったので、「今度はこちらが行きますから!」と勢い良く言った、言ったのだが、その後7年、 口だけ男となり、これまで機会をつくれなかった。

しかし!このたび、絶好のタイミングにより、ついに!というわけだ。


Panacheの店内はスタイリッシュかつ暖かい空気に満ちた空間。

ボクのハンドルネームの入った特別メニューが用意されており、在籍したビール会社のビールやウイスキーも気を使って仕入れておいてくれた。もちろん「G」もしっかり大量在庫で、お店の常連さんがみんな「G」を飲んでいるという状態にもなった。

おいしい酒肴においしいビール、そして何より気持ちよくあたたかい人たちに囲まれて、実にしあわせな時間を過ごした。

6時半から深夜2時までいちゃったよ(^_^;)。

翌日はBOSSの運転で、サロマ湖、網走、世界遺産の知床へとドライブ。短くも濃厚な時間を楽しませてもらった。

感謝、感謝、感謝の2日間。

2014年10月29日水曜日

仮タイトルについて

このブログのタイトルを「その後のマーケティング戦略部長日記(仮)」としている。「仮」というのは何じゃらほい?「本 」になるのはいつなんだ?と思うのは当然、そして「その後の」というからには、「前 」があったんだろうと思うのも至極当然。前者については、これから環境が動き、僕自身が動くことで決まっていくものと信じている。後者については、確かに「前」があった。

「マーケティング戦略部長日記」というブログを書いていた。それは、2005年から2006年にかけての1年強だったと思う。仕事と趣味の公私混同、大手ビール会社の仕事としてはまずあり得ない形。その大手企業の出資ではあるものの、小さな小さなベンチャービジネスだったからこそできたのだろう。会社での肩書きをそのままブログタイトルにし、でも会社のオフィシャルな仕事というよりは、ほぼ趣味としてやっていた。言葉を変えれば、趣味が仕事…、ああ、なんて 理想的な生き方(^ ^;)。

顧客のレストランやBarで とのやり取り、飲んだときの出来事、仕事や商品にかける想いなどを、毎晩帰宅後に1〜2時間かけて書き上げて アップした。たくさんのブログ仲間ができた。ブログランキングのお酒部門で1位を獲得した時期もあった。雑誌で紹介されたこともあった。当時はFacebookもTwitterもGoogle+も無かったが、あれが今の環境だったらどうなっていただろうかと想像し、ちょっと悔しい気もしている。

ブログ終了後はネット上から削除してしまったが、wordにペーストして記録は取ってある。読み返してみると、ほんとよく書いたものだと自分ながら感心する。

さて、そして今、書くことがはっきり決まっていないからタイトルも定まらない。にも関わらず、こうして書き始めている自分。まあ、ただの徒然日記か。いやいや退屈なわけではなく、ことは動き始めている。前回にも書いたが、自分は会社を退職して、新しく踏み出すキャリアを探っている。それが何になるのか、それがこのブログの本タイトルに繋がる可能性は高い。

未確定の未来は数ヶ月後に必ずやってくる、はずだ。




2014年10月16日木曜日

25年間に乾杯

2014年10月10日が最終出社だった。正確にはまだ退職ではなく、しばらくの間の退職準備休暇を経てから、四半世紀の間、世話になったこのビール会社を正式に退職する。
大学卒業後、1980代終盤に入社、実家が酒屋ということもあり、ビール業界のマーケティングには興味があった。アサヒスーパードライの発売で競争が激しくなっていたこともあり、多いに暴れてやろうと意気揚々、最初の配属地である大阪へ赴いた覚えがある。
大阪では営業企画部門で販売促進イベントやキャンペーンの仕事を4年間、そして 次の4年半は営業に出て量販店や百貨店を担当。大阪の後は岐阜へ異動になり、業務用酒販店、温泉旅館、ホテル、ゴルフ場、スキー場などを回って、樽生ビール開拓の毎日だった。
岐阜で4年が過ぎたとき、“新しいビジネススキームによる新しいブランドのビール事業を企画する”という業務の社内公募に合格し本社に配属、その翌年に新会社を設立し、業務用専用のプレミアムビール「G」を発売した。この会社は数年後に親会社の資本を離れ、自分は母体に戻ったが、「G」は10年以上経った今でもBarやレストランで着実に広がり続けていることが誇らしい。
ここから急に海外事業畑に投げ込まれ、持ち株会社で、海外の食品会社のM&Aに携わった。仕事のパートナーも、投資銀行や弁護士事務所などと様変わりした。月の残業が200時間を超えるときもあった激務を経験した後、現地駐在員として海外赴任が2年間。買収した会社と母体の海外飲料事業とのシナジーを探る役割だった。
日本に戻り、国内ビール事業の海外展開を推進する担当として、日本ブランドビールの海外展開をを本格的にスタートさせ、ヨーロッパ、アメリカ、中国、東南アジア 各国での事業展開に携わった。
そして最後の1年はノンアルコール飲料事業のマーケティング部門で、新商品開発と新規事業開発を同時並行で進めるような仕事をした。
それぞれ簡単に書いたが、実に多様なビジネス経験をさせてもらった。その間には、気持ちが折れそうになるようなことも何度かあったけれど、振り返れば、人々の、おいしい、うれしい、楽しい を提供する仕事ができたのは、本当に幸せなことだ。この会社と、ここで一緒に働いた仲間たちに深く深く感謝したいと思う。
ありがとう、そして、25年間に乾杯。

海外事業に携わっている頃、本社から見た夕焼け。

2014年10月5日日曜日

感謝週間

ただいま送別会ラッシュのまっただ中。四半世紀、25年間働いた会社なので、それはそれなりに人間関係がある。現在の部署、取引先、以前の部署、同期、飲み仲間、などなど。会社を去る事についての名残惜しさは思ったより強くない。その理由 を書き出せば長くなるが、もっとも重要な人づきあいについて言えば、仲の良い人たちとはFacebookやLINEで繋がっていて、今後もお互いの近況を共有し合えるし、逆に、同じ会社にいても、こう大きな会社だと、それぞれあちこち転勤で何年も会っていない人は少なくない。こんなところでも コミュティのあり方が変わってきたんだと強く感じる。

取引先の皆さんに開いていただいた送別会で、自分が来年2月の東京マラソンに当選したことから、マラソングッズをいただいた。これを着て当日走ることを約束した。

さて、今週金曜日が最終出社。この会社に入る直前、つまり大学を卒業する時、サークルの文集に書いた言葉を繰り返そう。

「次の自分が楽しみだ。」